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寺の歴史

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    寺の歴史

  • 当山は延暦十三(794)年大和国,生駒山周辺より黄金の花瓶(けびょう・十一面観音の持物)を喰えた霊鳥が現在地より2km山中の坊ケ谷に飛び来たりて美声にて仏法を説けり

    その噂を聞きつけた弘法大師が来山し霊鳥が十一面観音に変化なさいました。
    早速大師は先程感得されたお姿を一刀三礼して等身大の御尊像を刻み草庵に安置し霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺(ひちょうじ)」と名付けられました。

    その後、寺運は大いに栄え、寺域一里半、寺領千石、十二の坊舎が並ぶ密・律・禅の名刹となりました。
    ところが、元亀二(1571)年、織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により全山灰燼に帰しわずかに小堂一宇を残すのみとなりました。

    その後寛永十二(1635)年桑名藩主松平定網公が当山に遊覧し、二十一日間眼病平癒の祈願の為参籠し満願の夜に、観世音菩薩の花瓶より滴る霊薬水で洗眼する夢をご覧になられ、忽ちに平癒なさいました。
    定綱公は御礼に供料田を寄進し、また万治三(1660)年には定重公より年々の祈願料を寄進されました。
    元禄年間には桑名藩家臣南條三太左衛門宗親公が丹波国より御自身の念持仏として地蔵菩薩を得られお祀りするに相応しい場所を探しておられた折、当山に登り堂跡の谷間より光明を放つ十一面観音の御頭を発見し早速京都で像体を修復し本堂及び坊舎を再建し御自身の念持仏地蔵菩薩も奉安なさいました。
    再興の後、桑名藩士の中で月々に仏供米を寄進する家が百戸もあったと言われております。
    また、当地は木曽三川の流域にして度々大洪水に見舞われ宗親公川辺より御本尊に民衆を救済し給えと懸命に祈った所、忽ちに雨が止み水も干して平常の様になりました。
    民衆は大いに歓喜し土砂などを取り除き夜の更けるのを忘れた程でした。
    しかもその日は八月十日の観世音菩薩四万六千日の功徳日でありました。

    また、山号については止雨のみならず、旱魃の時に雨壷という古い陶器の壷があり、これに水を滴らすと忽ちに降雨したので、「雨尾山(あまおさん)」と呼ばれる様になりました。
    明治二(1869)年参詣に不便との事で本堂及び地蔵堂を現在地に移転し、法灯を今に受け継いでいます。

絹本着色 弘法大師 一幅

  • 絹本着色 弘法方大師 一幅
  • 種別 絵画
    指定区分 市指定文化財
    指定年月日 昭和61年12月15日
    管理者・所有者等 飛鳥寺
    所在地 大字下深谷部2386番地
    形状 縦 107cm  横 68cm
    時代 室町時代
元亀2年(1571)この地方が織田信長に侵略された時、飛鳥寺も兵火にかかったが、この像は風にあおられて天高く舞い上がり、その難を逃れたと伝えられる。この図は、空海の弟子で平城天皇の第三皇子である真如法親王の様式を忠実に伝えている。
桑名市の指定文化財 -追録- の「3」ページより引用

飛鳥寺へのアクセス方法

  • 東寺真言宗
    雨尾山

    飛鳥寺(ひちょうじ)

    〒511-0808
    三重県桑名市下深谷部 2386

    ●電車をご利用の方
    下深谷駅 から徒歩 10 分

    ●お車でお越しの方
    東名阪自動車道 桑名東より 258 号線、下深谷交差点を左折して直進道なりの川沿いを進み「末広屋様」の方向に左折し道なりに進みます。
    飛鳥寺の左折看板が確認できたら、川の手前の道を左折してください。

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