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住職のつぶやき

  • 2018.10.01

    10月のつぶやき
     北海道胆振東部地震の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに早期の復旧をお祈り申し上げます。


    先月は台風の当たり歳とも言えるほど台風の被害が頻発しました。6月の大雨と言い、台風21号の被害と言い自然災害に対して人間はいかに無力であるかと露呈しております。
    地震、台風、大方の予想は出来ても回避する事は不可能な訳であります。勿論、被害を最小限に抑える事は出来ますが…
    ここ毎月のようにお見舞いの言葉を述べていると今年は「土」の気が重なり、良い事でも悪い事でも増幅する歳と年頭に述べましたが悲しい事に凶事が増幅している感が否めません。
    台風21号では当山も罹災しましたが大阪や北海道のように甚大なる被害を受けた訳ではございませんし、次は甚大なる被害を受けるかもしれません。
    勿論、何が起きても大丈夫のように準備なり、心づもりはしてはおりますが…

    8月の「つぶやき」で当山の行事、『十日観音』をお話し、先月は『千日詣』、では今月は毎年8月24日に行われている『地蔵盆』のお話かな?と思っておりましたのでお話致します。
    そもそも8月24日、つまり旧暦でいう7月24日が地蔵菩薩の大祭である起源に関しては不明ではございますが地蔵菩薩というお方がどういうお方かと考えてみますと私見ではございますが『大地という蔵をお持ちの方』と言えます。そして時期は収穫を控えた時期でございます。暦の上ではもう秋です。
    勤労感謝の日が豊作に対する神々への感謝の日であれば地蔵盆は豊作を祈念する日なのか
    も知れません。
    大地というのは今更説明する必要性はないかも知れませんが水が湧いたり、農作物を生育するだけでなく鉱物なども産出する訳です。勿論、人間だけでなく、生物にも有益を産出してくれてはいますが必ずしも益ばかりではございません、火山の噴火や有毒ガスを発する事もあります。地震もそうです。
    また地蔵菩薩の『蔵』とは『臓』の事であり、女性の『子宮』の事と言われております。
    事実、地蔵菩薩の功徳を述べている『地蔵菩薩本願功徳経』には地蔵菩薩の10の誓いが述べられています。
    その第一が『女人泰産』、つまり安産の功徳があると述べておられます。
    更に大地の牢獄、つまり『地獄』の閻魔大王の本地仏でもあります。あんなお優しいお顔を
    してらっしゃるのに閻魔様となられているとは…
    昔は『地震、雷、火事、親父』でしたが我々の世代になってくると女性の地位が向上したのもあり、『地震、雷、火事、母ちゃん』と言われるようになりました。
    事実、今でも放映されていますが『ドラえもん』の「のび太」がいつもママに叱られています。勿論、パパが叱る事もありますが大概はママが叱り役になっている事が殆どです。のび太にとってママは怖い存在になっています。勿論、ママは叱るばかりではありませんし親子の触れ合いや情に関するほのぼのとしたシーンもありますが…。
    『ドラえもん』だけでなく『クレヨンしんちゃん』でもママが怖い存在になっている場面があります。主人公のしんちゃんだけでなくパパも妻である「母ちゃん」が怖い存在になっているシーンがあります。
    勿論、地獄、極楽は「勧善懲悪」の意味合いで説かれています。
    ただ地獄、極楽は死んでから行く所だと認識される方は多いと存じますが実際は私たちがそのように認識している状態の現れに過ぎないのです。
    …と、また「つぶやき」でなくなり、長文になりつつあるので『地獄、極楽』の講釈は来月に致します。
     
    本日(9月30日)は台風24号の接近に伴い、被害が最小限に留まる事を祈るばかりです。皆様のご無事をお祈り申し上げます。
  • 2018.09.01

    9月のつぶやき
    残暑お見舞い申し上げます。 先月は10日に十日観音、18日には千日詣、24日には地蔵盆をそれぞれ厳修致しましたが、先月の「つぶやき」で十日観音の経緯や大般若転読法要について簡単ながら説明致しましたので今月は18日に致しました千日詣についてお話します。

    観音様の毎月のご縁日として18日が該当すると言われておりますが起源については大阪の北摂にある「勝尾寺(かつおうじ 西国観音霊場23番札所)」に由来します。
    何でも妙観という仏師とその弟子、以下18名が旧暦の7月18日より8月18日まで勝尾寺のご本尊「千手観音」を刻んだ故事によります。
    そしてこの『妙観』という仏師は「妙法蓮華経」の『妙』、「観世音菩薩」の『観』つまり、観音様の化身であったと伝えられております。
    爾来、観音様のご縁日は『18日』となったと伝わっております。
    8月18日は勝尾寺のご本尊「千手観音」が完成した日でもあり、千手観音に因んでこの日に千手観音をお参りしたら千日間お参りしただけのご利益を戴けると信仰されています。
    そしてこの千日詣を爆発的に広めたのが京都の清水寺であるといわれております。清水寺のご本尊も千手観音、それも勝尾寺の千手観音とは型式が違っております。勝尾寺の千手観音は通常のお立ちになられている千手観音、清水寺のは頭上に手を組み、掌にご自身の師匠であられる「阿弥陀仏」を掲げていらっしゃいます。因みに当山の千手観音様は大きさは全然違いますが勝尾寺と同様です。
    観音様は千手観音に限らず「阿弥陀仏」の慈悲を司っています。ご自身のお師匠様を頭冠に掲げておられます。
    勿論、当山のご本尊様も同様です。そもそも「菩薩」と呼ばれる方々は「菩提薩?(ぼだいさった)の略で究極の目標(開悟する)を目指して努力する方」を意味します。
    ただ日本は「大乗仏教」の国ですので一人だけ開悟する(幸せになる)のではなく、みんな全員余すことなく幸せになりましょう、という仏教ですので菩薩行が尊ばれます。
    観音様は究極の目標を体得なされたお師匠様であられる「阿弥陀様」の下で阿弥陀様のようになろうとご修行(努力)なさっておられます。
    阿弥陀様の御徳と言えば「お念仏をすれば極楽往生する」と言われておりますが阿弥陀様のような多くの御徳を具えた方は極楽往生だけが御徳ではございません。
    勿論、この場で阿弥陀様の御徳を全て述べていたら紙面が足りないだけでなく何十年とかかりますので敢えて多くの御徳の中、極楽往生以外に1つだけ申し上げるとすれば「妙観察智(みょうかんざっち)」です。
    素晴らしい観察力を持ったお方であると…そして観音様はその御徳を具えんがため(実際は阿弥陀様のその御徳を体現された方ですから『観』という字が付く訳です)日夜、我々を観察下さっておられ、我々の抜苦(悲)与楽(慈)に励まれておられます。
    私たちの目指す目標、つまり阿弥陀様のように観音様のように多くの徳を具えた人物になる為、阿弥陀様に、観音様に意識を向けましょう。その為にはご自身をよく観察なさって下さい、その方法が座禅であり、密教で言えば「阿字観」でございます。
    座禅に関しては禅寺でよく参禅(禅寺に参拝する事、転じて座禅に参加する事)させていただけますし阿字観に関しては高野山などで講習会があります。機会がございましたら是非ともご参加下さい。

    今月も長くなりましたが残暑厳しき折、ご自愛ください。
  • 2018.08.01

    8月のつぶやき
    平成30年7月豪雨でお亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表し被災された方々にお見舞い申し上げます。

    今月は10日に十日観音、18日には千日参り、24日には地蔵盆と行事がございます。
    その中で今月のつぶやきは『十日観音』についてお話したいと思います。
    毎年8月10日に『十日観音ご本尊出現四萬六千日功徳日』と題しまして大般若経六百巻転読法要を致しております。
    8月と言えば旧暦のお盆の月です。10日はお盆の期間中にもなります。
    7月7日は七夕、七日の夕方と書いて「たなばた」と読みます。一説によるとつまり、7日夕方にお盆の準備をする訳です。
    七夕は今は新暦でなさる地域が殆どですが東北仙台や神奈川県の平塚市などでは今でも8月に開催されます。
    亡くなった方々、御先祖様や友人など死者の魂があの世からお帰りになる、ただし浄土真宗などではお盆をしないと聞いております。
    亡くなった方々は全て阿弥陀様の許にいらっしゃって、つまりこの上ない楽な世界にいらっしゃるのに何でわざわざこの苦しみの世界に帰って来るの?という思想より亡くなった方々の魂が帰って来る事はあり得ない、なのでお盆はしないと聞いておりますが浄土真宗よりも長い民俗信仰上、宗派を問わずお盆の行事をなさる地域が日本では殆どです。
    亡くなった方々の魂にお給仕をするのに使う「盆」からきた語とも言われておりますが正式には『盂蘭盆』といいます。(盂蘭盆については過去のつぶやきをご参照ください)
    亡くなった方々の魂、つまり、よく言われるのが「お精霊(しょうらい、招来とも書きます)さん」をお祀りする棚とお帰りになる際の目印の旗を立てる(実際、当山のお盆では精霊棚を用意し、旗を笹に立てかけますし、その旗が七夕飾りの短冊の元になったとも言われております)ので7月7日を「たなばた」と呼ばれるようになったと…そしてその翌日がお盆の初日となります。
    関西では「八日盆」と言われ、この日から藪入り、つまり盆休みという事です。今はお盆休みといっても1週間も休む所はなかなかないですが休み始めはバラバラでも15日前後に休み明けというのは大概共通しているみたいですが…そしてその15日がお釈迦様ご在世の時からございます『僧自諮の日』になります。(僧自諮についてはこちらも過去のつぶやきをご参照下さい)
    10日にお参りすると4万6千日間、毎日お参りしただけのご利益が頂けるといわれています。4萬6千日ってつまり、126年以上になります。それは江戸時代での親子3代の在世期間と言われております。お盆はご先祖様も帰宅される訳ですからこの日に先祖供養として観音様にお参りしなさい、もっと言えばこの日にご先祖様のお墓参りをしてお精霊様をお迎えしなさいって事だと思います。
    元々浅草寺で始まった行事だとは言われておりますが浅草寺の長い歴史上、一番隆盛したのも江戸時代、そして庶民の生活水準が格段と上がったのも江戸時代、浅草寺の行事が全国に伝播したのだと思います。
    当山では10日に現世利益のために大般若経を転読(600巻を1から600までまともに読んだら単純計算で1カ月はかかりますから省略型で読経する事)法要をし、午後からは亡き方の供養も兼ねて施餓鬼法要をしております。
    施餓鬼に関しても過去のつぶやきをご参照ください…こう申し上げないと1回読んで終わりとはいかないでしょうし…せっかく過去に苦労して書いたつぶやきが1回読まれただけであとは見向きもされないのは何だか…

    そんなこんなでまたつぶやきが長くなり、説教となりかねないのでこの辺で筆を置きます。猛暑の砌、ご自愛ください
  • 2018.07.03

    7月のつぶやき
    大阪府北部地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。

    私も地震当時は奈良にいましたが阪神大震災を経験してます。阪神大震災の時は本当に怖かったです。今回の地震とは違って揺れが長かったので被害も大きかったです。

    さて、今月は「ご朱印」についてお話します。ご朱印を集めるのがブームになっている昨今ですが本来は寺社への参拝の証でありまして神社の神様、お寺の仏様を拝んで頂くものでありますからスタンプラリーではありません。
    今は東急ハンズなどの文具屋等でも「朱印帳」が売られていますが、やはり寺社でお買い求め下さった方が私は良いと思います。
    それぞれの寺社の特徴があり、神仏のものは神仏の所で買えばちゃんとした説明を頂けるからです。
    勿論、説明を受けてもスタンプラリーと勘違いなさる方もごく稀にいらっしゃるでしょうが…

    まづ、寺社へお越しになられたら山門や鳥居の前で脱帽の上、一礼してからお入り下さい。
    次に手を洗いますが柄杓で一杯の水を汲みます。2杯、3杯と手洗いの途中で水を継ぎ足さないようにして下さい。柄杓が小さいようでしたら致し方ありませんが大概の寺社の柄杓は手を洗うのに丁度良いサイズですので…
    手水鉢がない所はトイレとかの蛇口の水でも構いませんが節水して下さい。
    まずは左手を洗いますが柄杓の水を少量、手のひらに流すように洗います。次に右手、要領は左手と一緒です。次は口を漱ぎますがよくやるパターンが柄杓に直接口をつける方がいますがこれは絶対になさらないで下さい。特に女性の方は口紅が柄杓に着く恐れがありますので…ではどうするか、柄杓にある水を少量、左手のひらに受けて下さい。そして受けた水で口を漱いで下さい。口を漱ぐと言ってもウガイではありませんので痰や唾まで吐き出さないように。
    そして次は最初にしたように左手のひらを洗い流します。最後に柄杓の柄を立てて残った水で柄を洗い流します。
    タオルや手ぬぐいが備品としてある所は使って下さっても構いませんが次に使う方の事を考えて手をゴシゴシ拭くように使わず、手のひらを濡らしただけなのでタオルや手ぬぐいの両端を沿うようにして両手のひらの水分を取って下さい。
    次ですがお寺には釣鐘があります。勿論、衝いても良い寺でしたら衝いてください。ただし連打したり、力いっぱい衝かないようにして下さい。要は仏様にお参りに来た合図です。お寺の事情で衝かないで下さい、というお寺もございますからその辺はお寺に従って下さい。
    次にいよいよお寺なら本堂、或いは神社なら本殿にお参り下さい。これもよくあるパターンですがお寺では手を叩かないで下さい。但しお寺でも土地の神様を境内にお祀りしている場合がございます、その場合はお社に限り、手を叩いても構いません。要は神様には手を叩き、仏様には手を合わす、と覚えて下さい。
    またお賽銭ですが『四角いお金』を入れて下さい…(勿論、冗談です)いくら入れても構いませんがお賽銭箱に投げ入れるのは止めて下さい。神仏に対して乞食にお恵みするような行為は絶対に控えて下さい。ですからお賽銭、つまりお金を投げつけるような事は絶対にしてはいけません。正しいお賽銭の仕方はお賽銭箱の一番近い所まで進んで右手のひらにお金を置き、それを仰いでお金を賽銭箱の縁に沿わして入れて下さい。もしくは仰いだお金をそのまま手のひらを返して落として下さっても結構です。
    神社では鈴、お寺では大概鰐口があります。どちらの場合でも思いっきり叩いたり振って鳴らしたりしないよう…要は寺社の道具、つまり神仏の道具を大切に扱って下さいとのことです。音がすれば十分です。1回、ないしは2回軽く叩いたり、振って下さい。勿論、どちらも無い場合は手を叩いたり合わせたりするだけで結構です。また神社では二礼二拍手をお参りの最初と最後にいたします。お寺では先程述べたように拍手は致しません。二礼はしなくても最初と最後に一礼はします。
    お寺では「お経」、神社では「祝詞」を通常あげますが私共僧侶は神社でもお経をあげます。勿論、ご存知の方はあげて下さい、ご存じでない方は出来ましたらお経本をお買い求め下さい。『般若心経』であればご朱印をなさっている寺社であれば大概の寺社で通用致します。勿論、祝詞の本があれば神社であげて下さい。般若心経の本は大概のお寺でも扱っていますし、祝詞の本も神社によっては販売している神社もあります。大概の仏壇屋さんではお経本を販売していますし稀に祝詞の本も扱っています。ご近所の仏壇屋さんでお訊ね下さい。仏壇屋さんによっては祝詞の本でもお取り寄せして下さるやも知れません。
    お経や祝詞をあげるのを終えて、つまりお参りが済みましてようやく「ご朱印」を納経所(寺務所、あるいは社務所)で頂いて下さい。
    2回目、3回目、それ以上となると「重ね判」と言いまして最初に朱印を頂いたページに判のみ押します。西国では判のみならず2回目、3回目、それ以上と参拝した日付もその都度記入してくださいますが
    四国88か所では朱印帳が真っ赤になるまでお参りを繰り返している方が大勢います。また他にもたくさんの寺社をお参りして朱印が貯まり、貯まった朱印帳が10冊や20冊、それ以上とたくさんお持ちの方もいらっしゃいます。
    各寺社の方が朱印帳に判だけでなく毛筆で書かれた字はそれぞれの書き手の人柄が解るような、味のある字です。勿論、中には毛筆や判が印刷してある寺社もありますがお参りのご利益が朱印帳に凝縮されています。
    お寺にお参り出来る…
    つまり自分だけでなく家族みんなが健康であり、巡礼となると経済的にも恵まれた環境にいるわけです。自分は勿論、家族が健康でなければお参りに行きたくても行けない訳です。病気の子供を親としてはほったらかしにして巡礼には行けませんね…また経済的にも恵まれていなければ巡礼どころではありませんね…
    ですがどうか負のスパイラルから脱却して下さい。その為にもお近くの寺社へ何度となくお参り下さい。今良い種を植えないと後々良い種は発芽して良い実を熟しません。善因善果です。今不幸なのは過去の因果の結果です。明るい未来は今の原因の結果です。
    皆様の明るい未来の為にも神仏とのご縁を結び下さい。

    今月は少し遅れましたがご一読頂きありがとうございました。猛暑の砌、ご自愛ください。
  • 2018.06.01

    6月のつぶやき
    衣替えの時期となりましたがいかがお過ごしですか?
    今月は先月の続きで『灌頂(かんじょう)』についてお話しようかと思います。
    19日に大阪北区の『国分寺』様でお薬師様の灌頂が開壇されました。
    高野山では毎年2回、春(5月3,4,5日胎蔵界)と秋(10月1,2,3日金剛界)に『結縁灌頂(けちえんかんじょう)』が開檀されています。
    高野山だけでなく比叡山や大阪四天王寺さんでも流派は違いますけど毎年1回は開壇されていまして、それは僧俗問わず一般の方々が仏様とのご縁を結ぶ儀式でもあります。
    勿論、仏様とご縁を結ぶと言われても私共がご縁を結ぶ仏様を選ぶのでは無く、仏様から私たちを選んでいただく訳であります。
    またこれは密教を学ぶ、修行する者への入門儀式でもあり、『投華得仏(とうけとくぶつ)』と言いまして目隠しをされて樒の葉(インドの青蓮華の花に似ているのでそれを代用し、仏教寺院では重用されています)を敷曼荼羅に投じます。その樒の葉が落ちた所の仏様とご縁を結ぶ訳であります。
    しかしどの仏様とご縁を結んでも最終的には皆『大日如来』となる訳です。観音様、お薬師様、釈尊や地蔵さん、数多に仏様がいらっしゃいますがそれは皆、大日如来のお姿が時と場合によって変化しただけの話です。
    例えば小さなお子様が悪さをしようとしたら親御さんは叱りますよね?その慈悲深いお姿がお不動さんに、お母さんのような優しさ、癒し系なお姿が観音様であったりと大日如来が我々の状況に臨機応変のお姿を現しています。
    我々は仏様から見たら気の毒な存在なのです。こうすればいいのに、あーすればいいのに、こっちの方が楽しいよ、そっちの道は険しいよ、と煩悩があるがために苦しんだり悲しんだりする我々を仏様は憐れむ訳です。
    そして灌頂を受けるという事は最終的には皆が大日如来になる訳でそこが最終目標でもあり、最終の到着地点でもある訳です。目標が定まり、目的地が確定していれば途中、道に迷ったりしても軌道修正が出来る訳です。
    東京の本社で何日の何時から会議がある、大阪に今いて東京に向かおうとしてるけど何で行こうか?新幹線にしようか、飛行機にしようか…飛行機で行って早めに着いて東京でのんびりしようか、でも荷物が多いから車にしようか、時間があるから安くローカル線で『青春18切符』を使って行こうか…と、このように移動手段は多々ありますがどれも目的地が間違っていては肝心の目的地に到着できません。勿論、電車を間違えて乗ってしまったら、乗り過ごしてしまったとかなら乗り換えることが出来ます。回り道することも出来ます。ただ間違いに気づかずそのまま別方向に向かってしまえば目的地にいつまでも到着出来ず、本社会議に間に合わなくなる訳です。
    勿論、皆が大日如来になる、つまり早く皆が幸せな状況になる事を仏様が望んでいても立ち止ったり、回り道をしたりと一筋縄、一直線では行かないかもしれません。その為には何度も何度も確認し、踏みしめて行く事が大事になってきます。その為にも今回ご紹介する灌頂を何回も受ける事をお勧めする訳でございます。

    ただ、その結縁灌頂も大概の密教系のご本山では開檀されていますが、先に述べた高野山でも年に二回の数日、殆どのご本山では何年かに一度とか何かの記念行事の催しの一環として開檀されたりとなかなか受ける機会に恵まれない方々もいらっしゃるのが現状でしょう。また遠くにお住まいでなかなか高野山まで行けない、また高野山に行くだけの経済的な余裕がないなど諸般の事情が人それぞれだと思います。勿論、何度も高野山で、または色々なご本山で受けておられる方もいらっしゃいましょうが…
    そんな方にお勧めしたいのが「巡礼」であります。勿論、巡礼には灌頂という儀式は含まれてはおりませんが『結縁』という意味では灌頂と同じ功徳が頂ける事だと私は思います。
    巡礼をなさる大概の方々は『御朱印帳』をお持ちです。御朱印帳だけでなく笈摺(おいづる)や掛け軸や額装にするための絹本などをお持ちになられて巡礼されている方々もいらっしゃいます。
    巡礼の代表と言えば「お遍路」つまり四国一円を巡る弘法大師の霊場『四国88か所』、また他にも近畿一円を巡る観音様の霊場『西国33か所』、関東一円の観音様の霊場には『坂東33か所』、また埼玉県の『秩父34か所』と含めて『日本百体観音霊場』と古来より称されており、その他にも当山が加盟している三重県の伊勢一国を巡る『伊勢西国観音霊場』と高野山になかなか行けない、もしくは他のご本山でも催している灌頂になかなか都合が合わなくて入檀出来ない方、勿論灌頂を受けて巡礼もしてというのがベストですが灌頂はなかなか都合が合わないという方は出来ましたらお近くの霊場を巡礼下さい。先ほど述べた四国や西国だけでなく西国の地方版の伊勢西国とどこの地域にもお大師様、観音様に限らず何かの霊場はございます。勿論、出来ましたら一度とは言わず何度も何度も巡礼下さい。
    勿論、四国も西国も伊勢西国も、はたまた近畿36不動も都七福神もと各地にある霊場を網羅し、巡礼なさっても良しですし、伊勢西国を巡礼するとともに一緒に三重四国88か所も巡礼なさるでも結構です。伊勢西国の霊場にも三重四国の霊場にも加盟しているというご寺院様はたくさんあります。勿論、その2つだけでなく東海36不動にも伊勢七福神にもといくつもの霊場に加盟されてるご寺院様もありますのでそのご寺院様で一度に多くの仏様とご縁を結ぶのも良しです。
    伊勢西国霊場をすべて巡礼したいけどなかなか…という方はお近くの霊場のお寺1か寺だけでも何回も、期間を決めても結構ですので続けてお参りください。
    観音様、お大師様等、仏様とご縁を結ばれて是非ともより良い人生をお過ごしください。

    ?今月も長文ながらご一読下さりありがとうございました。向暑の砌、ご自愛ください。来月は「御朱印帳」についてお話したく存じます。
  • 2018.05.01

    5月のつぶやき
    新緑の候となりましたが皆様いかがお過ごしですか?
    先月7日の花祭りも無事終え、やれやれと休む間もなくGW突入となりました。
    今年も不肖ながら『高野山 旧正御影供のお逮夜』でまたご詠歌のコンサートがありますので性懲りもなく恥をかきに出仕致します。 本年は5月5日晩がお逮夜になりますのでよろしかったら是非ご鑑賞下さい。
    なお当日は昼間に『春の結縁灌頂(けちえんかんじょう 胎蔵界)』がありますのでそちらも是非ともご入檀なさって下さい。
    仏様とご縁を結ぶ儀式です。真言宗で一番大事にされている儀式ですので切にお勧めいたします。
    またお逮夜の法要として年に1度『高野山 御影堂』内陣に入って弘法大師の御影を拝むこともできます。夕方からですがそちらも是非お参りください。

      以前にお話したかもしれませんが我が国は農耕民族の国ですので今でも農家のご年配の方は旧暦を使って農耕をしておられます。
    弘法大師は承和2年(836)3月21日の寅の刻(午前4時頃)にお隠れになられるわけです。
    その当時は今のように太陽暦を使っておらず(そもそも太陽暦自体が日本で採用されて150年くらいしか歴史はまだありませんが)、太陰暦(月の満ち欠けで一か月が決まります)を使用してました。太陽暦にも閏年があるように太陰暦には閏月が存在してまして月の満ち欠けだけでなくお米の収穫を1年とされていたりと古代より暦は重要視されていました。
    勿論、暦の研究員も公務員として存在していました。
    今でいうと『気象庁』みたいな役所でしょうか…
    そして弘法大師や当時の入唐留学生(にっとうるがくしょう)が中国(唐)より最新の文化、文物を招来したわけであります。
    特に弘法大師は2年足らずの留学期間で密教をはじめとした多くの文化、文物を請来した訳です。
    高野山大学や種智院大学、大正大学など密教を教えている大学はありますけど2年足らずで密教を免許皆伝出来る人がいるかというと否となります。
    いかに弘法大師が偉大であったかを物語るものであります。
    密教だけでも2年足らずで取得出来ない方々が殆どなのに大師は密教だけでなく暦や土木、薬学、ゾロアスター教や景教(キリスト教ネストリウス派)などの宗教も学んだ訳であります。
    ご存知の方もいらっしゃるでしょうがその当時の唐の都、長安(現在の中国陝西省西安市)は人口100万人を超える世界でも屈指の大都市でシルクロードの中間地点で洋の東西の交流地点でもあり、長い中国の歴史の中で一番栄えた王朝でもありました。
    その弘法大師がご入定(にゅうじょう、亡くなったのではなく永遠の禅定に入られた)つまりお隠れになった日が今年は5月6日になります。
    弘法大師は「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きなん」と大誓願をお立てになり、日夜我々の傍にいて我々を見守って下さっておられます。
    この機会に是非とも高野山の弘法大師のご寶前へ御参詣下さい。

    ?????? 今月も長文ながらご一読下さりありがとうございました。向暑の砌、ご自愛ください。
  • 2018.04.01

    4月のつぶやき
    桜も満開となり春爛漫となりましたが皆様いかがお過ごしですか

    今月の7日は当山の春のお祭り『花祭り』があります。どうぞ皆様御参詣ください。
    今月は何を呟こうかいろいろ考えていたらあっという間に1日になりました。
    今年に入ってから毎日が忙しく誰かサポートしてもらいたいくらいです。自分の生活の事もそうですが僧侶の仕事が多忙を極めています。
    こんなんじゃ病気になるんじゃないかと不安視する時もありますが、ありがたい事に大病はせずに済んでいます。

    というか人間、大なり小なり病気をするものであり生涯無病という事はまずありえません。しかし体の病気もそうですが心の病気の方が今は大病となっている時代です。
    お釈迦様が「人生は四苦八苦」とお悟りなされたように生きる事、老いる事、病気する事、死ぬ事、この4つは避けられない苦しみであると教えています。
    しかし苦しみも『苦は楽の種、楽は苦の種』と水戸黄門様もおっしゃってます。四苦八苦があるから楽もある訳で何事も捉え方1つで楽にも苦にもなる訳です。
    昔、薬師寺で『水を飲んで蛇はこれを毒とする、同じ水を飲んで牛はこれを乳とする』と教わりました。同じ水なのに捉え方1つでこうも変わるものです。
    苦しみからは逃れられないけどそれをどう 捉えるか、どう扱うか、どう対処するかによって悟りとなり楽になる、その処方箋が「お経」であると信じて止みません。
    大概の方は「お経は解らない」…確かに現代語訳されてませんし真言になるとサンスクリット語ですから漢訳にもされていません。
    お経ってそもそも古代インド人のお釈迦様がお説きになられたものですのでお釈迦様のお話なさった言語、あるいは訳された当時のインドの言語(サンスクリット語)で書かれていますし中国に仏教が伝わって漢訳されましたのがお経ですがそのエッセンスはとても素晴らしいものです。
    何しろ世界最高峰の文学小説みたいなものです。例えて言うならフランス文学の最高峰の『レ・ミゼラブル』を原文で読んでるみたいなものです。勿論、お経もレ・ミゼラブルも現代語訳にされていますがやっぱり原文とのニュアンスは変わってくるものです。
    また先程の水の話と同じようにお経の内容の捉え方も人それぞれです。なので敢えて現代語訳で称えないのかもしれません。
    弘法大師のお言葉に『真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千里を含み…』とあります。
    もっと言えば言葉では表現できないものかもしれません。
    私が朝食べたお味噌汁は美味しかった、それを100遍言ったところで、どんなに説明しても皆様お分かりになりますか?
    また同じお味噌汁を皆様が飲んでも「ちょっと塩分が足りない」あるいは「塩気が多すぎる」と皆様それぞれの味覚がありますからそこまで言うほど美 味しいか?となるでしょう。
    勿論、その逆の「こんなおいしいお味噌汁は飲んだことない!」と絶賛する方もいらっしゃるかもしれませんが…
    お経も真言も現代語訳しないのはそういうことかもしれませんしある程度のニュアンスは瀬戸内寂聴さんやひろさちやさんなどの著名な方々が経典を現代語訳されておられます。
    そしてそのお経に書かれている苦を楽にする方法を是非とも知っていただき、実践して下さい。
    ただそれを鵜呑みにするのではなくどういう意味かをお考えください。現代語訳されているお経をお読みいただいてもそれは著者のニュアンスであり、ご自身のニュアンスを得て頂きたく存じます。
    皆様がお経や真言のご利益、つまり無明(煩悩)が除かれて楽を得る事をお祈り申し上げます。

    また長くなりましたのでこの辺で
  • 2018.03.01

    3月のつぶやき
    1月行く、2月逃げるとなり、去る3月となりましたがいかがお過ごしでしょうか

    若者の自殺が社会問題になっている昨今、ネット社会のダークな部分が垣間見えるご時世となりました。
    若者だけでなく多くの方々のためにと観世音菩薩の慈悲が普く行き届いているにもかかわらず、このようなご時世です。
    勿論、若い方だけではありません。私だって自殺したくなる時があります。人生歩んでるうちは山あり谷ありですから順風満帆とは行きません。

    そう思うとつい先日まで開催していました「平昌オリンピック」の金メダリストの羽生選手はすごいな、と思います。
    何のために?何故?と現代人は思考力が低下したのか…
    羽生選手は金メダルを獲得するために悔しい思いもした訳です。でもめげずに諦めずに努力なさった。
    その結果が金メダルとなった訳です。

    ありがたい事に今バイトで雇っていただいてるお寺には宿泊施設があり、そこには幼稚園から大学生、企業の新人研修と若い方々が研修なり、プチ修行にお越しになられます。
    多くの若い方々と接する機会があります。そして高校生ぐらいまでのお子さんだと必ずと言っていいほど「何のために学校行ってるの?」と質問します。
    特に高校生は義務教育じゃないから学校行きたくなければ行かなくてもいいんやで、なのに何故行ってるの?と嫌な質問をしているかもしれません。
    大概の方は無言です。たまにご自身の目標なり、学校に行く意義を語ってくれる方もいます。
    勿論、ご自身だけの回答があればそれでいいのですがただ何も考えない…またその考えが短絡的だったり…

    私は以前から「私たちは幸せになる為に人間として生を受けた」と述べました。食って寝ての繰り返しの人生…それだと犬猫と一緒じゃないか…せっかく人間として生を受けて人間として幸せになれる千載一遇のチャンスがあるのに食って寝ての繰り返しでは産んで下さったご両親、 強いてはご先祖様にも申し訳ない話です。だって両親やご先祖様は子孫である我々の事を愛おしく思って下さる訳です。そう思わないご両親は既に堕胎したり殺したりとか虐待するわけです。少なくとも今まで生きて来られたのはご両親の我が子を思う愛がその期間にはあったからだと思います。
    そこで「何のために?」とお考えいただきたいのです。
    未成年とは保護者の下で保護されている訳です。勿論、その保護者だって完璧ではありません。 しかし成年になる事は保護されなくなる訳です。人生の荒波を一人で生きていかなければなりません。 家族、友達、一人ではなくとも自分の人生は自分にしか歩めません。
    ですからどう我が人生を幸せに生きようか…とお考え頂きたいのです。自分にとって何が幸せか…どうすれば幸せになれるか…
    仏教だけでなく宗教だけでなく幸せになる為の方法論は先人たちがいろいろな形で教えて下さってる訳です。
    無神論者でもどんな人でも幸せになる権利はあります。
    ただ忘れてはいけないのが権利があれば『義務』もあるという事です。自分一人の幸せでなく一人でも多くの方にご自身の幸せをお裾分けして下さい。
    お金や物だけでは幸せになれませんよ、勿論、お金や物も必要ですが他人を思いやる気持ちがもっと必要ですよ、他人を思いやる気持ち…それは基本的な事ですが孔子さんが曰く『己の欲せざる所、人に施す勿れ』(自分がされて嫌な事は人にしてはいけない)です。

    また長くなりましたのでこの辺で失礼します。
    来月の7日(土)11時~当山にて『花祭り』を厳修致します。皆様の御参詣をお待ち申し上げます。
  • 2018.02.05

    2月のつぶやき
    先月から都市圏での大雪、また群馬県の白根山では火山活動と自然の脅威を知らしめる月でしたがいかがお過ごしですか。
    また群馬県の被災地域の方々にはお見舞い申し上げます。

    さて先月にご案内致しました『ご詠歌コンサート』に因んで『ご詠歌』のお話です。
    ご詠歌とは巡礼歌であり、平安時代の花山天皇が西国観音巡礼の折りに各寺院に和歌を奉納されたのが起源とされています。
    天皇陛下が御詠みになられた和歌ですから格調高く仏様の御徳を讃嘆されています。
    ご詠歌は布教の一環として今日まで多くの方々に親しまれています。仏様の御徳、教えなどが和歌として詠まれ、平易でメロディに乗せて解りやすく覚えやすくなっております。
    ただ、古語に親しんでる方や音楽好きな方にはそのように思えるでしょうがご詠歌を全く聞いたことがない、古語は解らない方には敷居が高く感じるかも知れません。
    勿論、音楽好きな方でもジャンルがありましょうが・・・
    私も本格的にご詠歌を習い出したのはこの寺に来てからですし以前は触りの部分をほんの少しだけ習った程度です。
    西国巡礼やお遍路をした時、お寺での何かのお祭りなどで聞いた事は何度かありましたけど実際、自分がするとは思いもしませんでした。
    音楽も音痴ではありますが嫌いではなかったですし実際、カラオケボックスとかよく行きましたし・・・ジャンルで言えば洋楽とかJ-POPとか話題曲を唄う事が多いです。

    ご詠歌は和歌で古語が多い五七調ですが七五調の和讃というのもあります。実際和讃は新曲が出ますし時代に応じた歌詞のもあります。
    更に和讃は合唱曲にもなり、高音、主音、低音の3部や5部などの混声などもあります。


    とご詠歌の説明は長くは語れませんので「論より証拠」皆様も1度何かの折に是非ともお聞きください。

    こないだ、とある方から私の弟と同じご意見を頂いたので「つぶやきではなくこれでは説法だ」と。そして「あんまり長く書くと読む方も辛いから端的に語らないと・・・」とご指摘を頂いたので今月はこれにて筆を置きます。

    ご拝読ありがとうございました。
  • 2018.01.04

    1月のつぶやき
    新年あけましておめでとうございます。
    さて今年最初の「つぶやき」は先月申しましたように今年の干支に因んだお話をいたします。
    今年は戊戌(つちのえいぬ)戊とは樹木の生い茂った状態を表します。それも日当たりが悪くなり、風通しも悪い状態です。
    そして戌は大鉈を意味します。
    つまり本年は余分な過剰な物事に大鉈を振るい、思い切った大整理をする歳でもあります。
    60年前の戊戌歳は今上陛下が皇太子時に現在の皇后陛下とご婚約なされた歳であり、東京タワーが完成し、TV放送が開始された歳でもあります。
    戊も戌も共に『土』や『茂』を意味し、同気が重なるためにそれぞれの性質を強めます。
    つまり良い事は増々良く、悪い場合は増々悪くなると言われております。

    旧年は当山開山1200年以来初のTV放送をされましたし秋篠宮眞子様がご婚約を発表されました。
    今月の18日は私が初めてこの寺に来て4年になります。
    その時は雪の降る寒い日でもあり、猿がお出迎え下さいました。都会育ちの私にとって野生の猿を動物園や猿山、山奥以外で、しかもこれから生活する寺で見かけるとは夢にも思いませんでした。
    近頃は見かけませんが平成28年丙申歳には猿だけあってかよく寺の境内に出没してました。27年の大晦日の日に松の枝を採りに山に入る途中、田んぼに猿軍団と出くわしたのは今でもあの光景は覚えています。
    去年は酉歳だけあってか鳥がよく寺の上空を舞ってたような気がします。
    という事は今年は犬が舞い込んで来るのでしょうか・・・
    犬ならまだ良いですが寺の周辺では猪の被害とかも聞こえて来ますから来年は猪が舞い込んで来るのでしょうか・・・。
    動物自体私は嫌いではないですが犬や猫とかを飼う余裕もないですし癇癪持ち、短気な私ですから世話することができないでしょうし・・・
    他人が飼ってる動物を時折、可愛がる程度が私には性に合ってるかもしれません。
    実際、お世話になってる桑名駅前の桑名聖天さんで飼ってた犬の「ふく(29年10月他界)」も可愛がってましたし師匠の寺で飼ってた犬猫も可愛がりましたし・・・
    類は友を呼ぶとは言いますが動物好きの方々が私の周りには比較的多いかも知れません。

    そしてお寺の事情ですが本年より新旧の役員さんが交代します。
    旧役員さんのお2人は数か月間は相談役として残留下さいますが残りのお3方はお役御免となりました。
    3年間誠にありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
    4年前の18日にちょうど新旧の役員さんが交代した時でもあって初めてお目にかかり、また慣れない土地に来てまだ若輩の新参者の私を陰なり日当なりと支えて下さった方々です、生涯を通じてずっと記憶に残ります。
    自治会の役員、鎮守の神様のお祀りしてる神社の役員、そしてこの寺の役員と地域の方々が自治会を神社を、そしてこの寺を支えて下さってる・・・当山以外に近隣にも寺院はありますが地域の方々のお蔭で成り立ってるのはこの寺だけです。
    先代住職がご遷化なされて今年で7回忌・・・ご本尊様の御徳だけでなく先代住職のご遺徳がまだまだ残っている事に感謝の念に堪えません。

    本年は同気が重なる年ですからご本尊様の御徳、先代のご遺徳が増々繁茂し、町内の方々、御参詣の方々、このHPをご覧くださってる方々の増々のご多幸をお祈り致します。

    来月6日は「さいたま大宮ソニックシティ小ホール」で『曼荼羅の響』金剛流ご詠歌合唱団のコンサートがあります。微力な私も出演する事となり、一生懸命お唱え致しますので是非お越しください。
    ちなみに17日には東京国立博物館で『仁和寺と御室派のみほとけ』特別展開催記念で出演致します。
    さいたま公演は2500円、東京国立博物館の公演は東京国立博物館の入館料がかかります。

    来月のお話はそういう催しに因んで『ご詠歌』についてお話したいと思います。
    本年もどうかよろしくお願いいたします。
  • 2017.12.01

    12月のつぶやき
    今年も残すところあと1カ月となりましたがいかがお過ごしでしょうか

    今年の年頭に安倍首相が「酉歳解散」を否定してましたが10月に衆議院を解散しました。結果は自民党の大勝でしたが新興勢力が台頭しました。「みどりの党」や「立憲改進党」です。
    特に「みどりの党」は東京都議会の第一党となりました。

    また当山ではNHKのドラマ『マチ工場のオンナ』のロケ地になりましたし私自身も最終回(12月29日放送)のほんの数秒ですが出演しました。(ただしカットされてるやもしれません。現在放送中ですし見逃した方は再放送が木曜日(放送時間帯は水曜日になります)深夜0:10~ので是非ご覧ください)

    本当に今年はいろいろありました。毎年いろいろありますが今年に限っては10月から休む間もなしのように予定が詰まりましたし私自身、充実してました。
    勿論、まだ続いてますが・・・。

    今年の年頭にお話ししましたように酉という歳は「醸し出す」つまり一定の成果が表れる歳でもあり、今までの努力をした分だけ成果も出る訳であります。
    成果、つまり収穫を終えたら次は次の収穫に向けての準備をしなくてはなりません。
    それが来年の干支『戌』の意味になります。
    つまり地慣らしをする訳です。
    どういう苗床を作るか・・・まずは基盤作りから始めるわけです。

    本年も良い事ばかりではありませんでした。北朝鮮のミサイル発射や朝倉市や紀伊半島などでは台風の被害がありました。 南海高野線では高野下駅から先は未だに復旧しておりません。

    ただ皆さんはどう思われますか解りませんが自然災害は必ず起きるものです。
    勿論、災害が起きてほしくない、と願う気持ちは大いに理解出来ますが、ご自身にとって良い事ばかりではありません。
    お釈迦様が最初にお説きになられた法話は『四諦八道(したいはっしょうどう)』つまり、この世の中、人生には苦しみが多い、そしてその苦しみから逃れる方法をお説きになられたわけです。
    苦しみ、つまり『四苦八苦』の事です。『四苦』は生、老、病、死。『八苦』は前述の四苦に愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)を加えた苦しみです。
    そしてこれらの苦しみは決して逃れられない現象でもあります。
    しかし、その苦しみの原因は何か?そしてその苦しみから我々を救おうとしている釈尊の姿が「薬師如来」です。
    薬師如来は薬壺をお持ちです。その薬壺には体の病も心の病も癒える万能薬が入っています。
    それは何か…『明(みょう)』です。つまり我々には煩悩(無明)があるから頭脳にしても心にしても明るくなれば良い訳です。

    仏前にお灯明としてローソクをお供えいたします。それは仏様の徳を顕しています。暗闇だと迷いが生じます。暗闇の中で新聞を読んだりは出来ません。車の運転もそうです。ところがその暗闇の中で1つの明かりがあれば目印になります。月明かりもそうです。勿論、月明かりより太陽が燦々と照らしていたらもっと明瞭です。仏様は自らの身を削って周り、つまり我々を照らしてくれています。
    勿論、ローソクも江戸期に入って発明された物であり、洋ローソクになると近代になって出来た物です。それまでの松明や菜種油などの照明具として取って代わった物でもあります。
    ところが今でも松明や菜種油などを照明具として使っていても、更に現代では電気の照明具を使っていてもローソクをお供えいたします。仏様の徳を顕しているからです。
    勿論、防災上の理由で電気を使っているご家庭やご寺院様もありましょうが・・・
    そしてローソクに灯す「火」は『智慧』の象徴でもあります。よく言われますが人類は火によって発展してきた訳です。他の生物と違い火を使います。ホモサピエンスの他の生物との決定的な違いの1つです。
    そしてその火は良くも悪くも使えます。智慧もそうです。使い方1つで仏様の智慧にもなるし悪知恵にもなります。
    そして暗闇、つまり迷いや苦しみの世界にいる我々を身を削ってその世界から逃れれる万能薬の処方箋をお示し下さっています。
    弘法大師のお言葉に『生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死に死んで死の終わりに暗し』・・・人生は本当に暗闇の中を彷徨っているだけです。そんな中で仏様は灯明で徳を顕して我々を照らし、真言で我々の抜苦与楽をお示し下さいました。
    真言の事を別名『明』と言います。?多大でなおかつ深遠な意味を持つ真言・・・。我々は幸せになる為にこの世に生を受けた訳です。それは我々が受け取る権利です。
    しかし権利ばかりではありません。義務も果たさないといけません。

    ?それは何か・・・自分以外の人を幸せにする義務です。
    よく結婚式で宣誓しますが「幸せな家庭を築きます」と、それが義務になります。自分以外の旦那さん、あるいは奥さんや自分の子供を幸せにする義務があります。勿論、私みたいな独身貴族は親兄弟を幸せにしなければなりません。天涯孤独な方なら友人、会社の同僚など要は自分以外の方達を幸せにしなくてはなりません。何しろ人間は一人では生きていけない生物ですから・・・。生死は一人でも人生は一人では歩めない生き物です。
    その為には自分の幸せを他の人々にお裾分けせねばなりません、それにはまずは自分が幸せにならなければいけません・・・というか他人の幸せが自分の幸せであると捉えれるようにならないと虚しい幸せしか来ないかもしれません。独善的な幸せはいづれ虚しくなるだけです。
    じゃ世界平和とかを祈り、実現するようにする事がベストか…?勿論、究極はそうですが、じゃ見ず知らずの人の幸せを願えるか・・・?
    私が申し上げたいのは大風呂敷を広げずに『塊より始めよ』ということです。人一人幸せにすることでも難しいのに世界平和となるともっと難しいのでは?ましてや世界平和を祈りながら夫婦喧嘩や兄弟喧嘩をしていたのでは本末転倒です。
    台風の被害に遭遇した、不幸だ!宝くじで10億円当たった!幸せだ!・・・
    台風で被害に遭遇したのは確かに不幸ですが宝くじで10億円当たった方が実はもっと不幸なのかもしれません。
    幸せも人それぞれですが先述のように他人の幸せ=自分の幸せとなるよう努めねばなりません。

    どうか来年も良き歳を皆様お迎えください。私も皆様の幸せが我が幸せであるよう、真言(明)のお力で苦の原因である無明が無くなるようお祈り申し上げます。?

    (11月21日に『マチ工場のオンナ』の最終ロケが当山でありました。主演の内山理名さんとの記念撮影です)

  • 2017.11.01

    11月のつぶやき
    秋も深まりましたが皆様いかがお過ごしですか
    今月は先月にお知らせしましたがNHK名古屋制作のドラマ「マチ工場のオンナ」が17日22時~総合で毎週金曜日、7週連続で全国放送されます。
    初回、3回、最終回とほんの1コマですが当山の景色がオンエアされます。最終回には私も出演することになりまして今日がそのロケの日でございます。
    主演の内山理名さん、共演に竹中直人さんがいらっしゃる中での撮影ですから今からドキドキです。
    また、12月1日は「近鉄ウォーキング」の開催日で当山がそのコースの中に入っております。ちょうどその日の晩はそのドラマの1コマで当山の景色が放映されます。

    さて本題ですが今月は「ご縁」についてお話したく存じます。
    今回こういうご縁を頂けた、あるいはもっと言えばこの世に生を受けたのもご縁です。
    本当に不思議なものです。人間として生まれる事でも奇跡なのに・・・
    実際考えてみてください、私たちには必ず両親がいます。その両親にも両親がいます、そのまた両親にも・・・と10代遡れば1000人以上のご先祖がいらっしゃる訳です。
    その誰一人として欠けていたら私はこの世に存在しなかった訳です。そして1つの卵子に何億もの精子がお互い競い合ってこの世に生を受けた訳です。
    勿論、受精したからと言って必ずしも安産って訳ではございません。流産することもありますし中には中絶する方もいらっしゃいます。
    更に日本に生まれてくるとは限りません。アメリカかもしれませんしアフリカかもしれません。
    今の自分の存在とは本当に不可思議なものです。
    何の縁に因ってか・・・誰一人解明できません。
    ただこれだけは解明できるかもしれません。今の自分の存在は過去の自分の産物であると・・・
    何回かお話ししたかもしれませんが「蒔かぬ種は生えぬ」「火のない所に煙は立たず」そして今のご自身が不幸ならば今から幸せになるための種蒔きをしましょうと。
    勿論、種蒔きだけでなく水やり、肥料やりと幸せになるための努力をしましょうと・・・
    過去の行為、環境が思想信条も含めて自分を形成している訳です。
    そして今自分が置かれている環境ほど幸せであると思えないのが一番の不幸だと思えます。
    上を見てもキリがないですが下を見てもキリがないです。「王子と乞食」の話が良い例です。王子は自由のある乞食を羨ましがり乞食は豊かな生活をしている王子を羨ましがる訳です。そして同じ顔立ちをしている二人が入れ替わって生活してみればやっぱり王子は王子の生活が恋しくなり、乞食も乞食の生活に戻りたくなる訳です。
    今の自分はご先祖様のお蔭、その中には勿論ご両親も含まれています。そして友達や兄弟、仕事の同僚、伴侶やお子さんもそうです。解明できない深いご縁を頂いて私たちは幸せに生かされているのです。
    何事も悪く捉えれば何でも悪くなります。それをいかにプラスに考えるか・・・そう考えれるという事は十分幸せな人です。
    そして我々が幸せになる方法論が宗教である訳です。道徳ではなく哲学でもない、幸せになるための論理と実践が説かれている訳です。
    宗教とは人類の間違いから始まった、と言われております。そうですね、人類が完璧なら宗教なんて要りませんし宗教とは何か別に人生の指針があるならば要らないものでしょう。
    そして宗教も数多に存在しています。それは人間にはそれぞれの個性がある、という事の顕れであってまたケースバイケースということです。

    まあ、あんまり長く書くとまた弟に「クドイ!」と叱られそうなのでこの辺で
    皆様のご多幸をお祈りして筆をおきます。
    来月は今年一年の総評と来年の干支について少しお話させていただきます。
    朝夕と寒くなりますがご自愛ください。
  • 2017.10.02

    10月のつぶやき
    10月に入り朝夕とめっきり涼しくなりましたがいかがお過ごしでしょうか?

    さて先月のつぶやきの続きでお香の事、更に『薫習(くんじゅ)』についてお話したいと思います。

    お香を仏前にお供えする事は仏教の一番の特徴であると申しました。
    では皆様は仏式のお葬式や法事などで何回お焼香しますか?
    またお焼香だけでなくお線香も仏様に何本上げてますか?

    勿論、場所にもよりますが大概、斎場では焼香は一回ですし葬儀社によっては一回焼香して下さいと言われる場合もあります。

    お焼香の回数やお線香の本数ってのもちゃんと意味があります。

    と言いますかこの世の中に『意味』のない事ってありません。

    一見、無意味に思える事もちゃんと意味があり、意味を付けられています。
    その時は無意味だったとしても後々それが大きな意味を持つ事もあります。
    その時は無意味と自身が思ってただけかも知れません。
    と言いますか無意味だった事に意味付けする事が大事なのかも知れません。

    とまぁ鰻問答はともかくお焼香の回数で一回して下さいと言われるのは勿論、参列者の数が大半の理由でしょうが一筋に極楽に往生して下さい、との願いからです。
    お焼香だけでなくお線香の本数も一本と言うのは「一筋に〇〇します、して下さい。」と言う願いや誓いからです。
    当山もお寺であり、修行の場所でもありますから一筋に仏道を歩みますと言う仏様に対する誓いからです。
    勿論、全てのお寺でそうしてるかどうかは別ですが先程述べたように本数には意味があります。
    ところがお焼香や一般家庭のお仏壇に関しては3回、お線香は3本なさって下さいとお勧めします。
    何故か…皆様お分かりですか?
    3と言う数字が意味があるからです。
    3はつまり『過去、現在、未来』だとか『仏、法、僧』にお供えすると言う意味があるからです。
    過去、現在、未来に亘る仏様に供養します、また仏様だけでなく仏様の教え、仏様の教えを護持する僧にお供えすると言う意味があります。

    そして今日の世の中には沢山の香りがあります。
    仏教的な香りだけでなく柔軟剤や香水と言った物、食物も香りがあります。

    よく『鰻は匂いを食わせろ』とかカレーの香りがしたらカレーが食べたくなったとか。

    お仏壇にお香だけでなくご飯もお茶も花もお供えします。
    それぞれに良い香りがありますがそれは自身の好みから来てる香りです。
    勿論、臭い物は誰しも嗅ぎたくないはずです。
    ただ皆様の嗜好が万人向けとは限りませんがカレーの香りにしても鰻の香りにしても美味しさに繋ります。
    料理は視覚、嗅覚、味覚で美味しい、不味いと判断します。

    それは我々だけでなく仏様も同じです。
    ただ仏様に味覚何てあるの?と思われるやも知れませんが我々の気持ちを味わって下さってる訳です。

    ご自身の嗜好の香りを仏様に供養する…
    前述に料理の話をしましたが麻婆豆腐やエビチリの創作者で『故・陳健民』さんが「あなたが食べて美味しいもの、私食べても美味しい、あなたが食べて不味いもの、私食べても不味い」と述べておられた語とは仏様や他人に接する基本的態度なのかも知れません。
    かの美食家『北大路魯山人』も「料理とは理(ことわり)を料る(はかる)事」と述べています。
    美味しい料理は万人が楽しみにする事です。
    味覚だけでなく視覚、嗅覚も楽しませてくれます。
    ところが昨今は味覚、嗅覚、視覚が衰えて来たのでしょうか?
    野菜や食物が持つ本来の美味しさ、視覚に訴えるが如くの着色料、そして嗅覚も香りが氾濫しているが為か人工香料の多さ…
    それらを私は否定している訳ではございませんが(何しろ合成添加物で育った年代ですので…)本来の持つものを解らずにいるのはとても残念な事だと思う訳です。

    味覚、嗅覚、視覚だけに限らず人間の五感とは生きていく上で大切な感覚器官です。
    不味いもの、つまり自分にとって毒のあるものかも知れません。
    香りも誰しもが臭い香りは嗅ぎたくないと言うのは害を避けているものかも知れません。
    見た目に騙されてカスを掴まされると言う事もあります。
    聞こえの良い話に乗せられて騙される事もあります。
    『諫言は耳に痛く、良薬は口に苦し、されども用いてこそその効あり』と言う名言もあります。
    触覚については例えが思い付かないので割愛します。
    毒や害のあるもの、つまり自己防衛本能を壊す、強いて言えば自己の命に関わる重大な事でもあります。

    そしてここからが本題の『薫習』の話です。

    字をご覧になられてお分かり頂けるとは思いますが『薫』とは『かおる』つまりお香の薫りが衣服に染み着いて取れないように『何回も何回も習い、身に染み付ける』と言う事です。
    良い薫りとは良い習慣の事です。
    例えて言うならば毎日お風呂に入るようなものです。
    勿論、地域によっては毎日風呂に入らなくても良い地域もあるでしょうし諸般の事情で入りたくても入れない方、入らなくても良い場合などなど例外を述べてたらキリがないですが大概の方は夏の暑い時などには毎日お風呂に入り、汗や汚れを落とします。
    夏の暑い日が続いて汗かいてもたまにしか入らない方はやっぱり体臭が凄いです。
    私も体質的な事でワキガがありますのでやっぱり毎日お風呂に入ります。
    これが多忙で疲れたが為に二日も入らないと体臭で周りの方々に匂いの暴力行為をする事になります。
    仏様にも失礼な事です。
    そういった事のないように気を付けてはいますがたまにやらかしてしまいます。
    一日くらいならともかく一週間もすると汗臭い匂いが衣服に染み付いてなかなか取れなくなります。

    他にも仕事にしても長年勤めてたら板に着きます。
    ヤクザの組に10年も出入りしてたら盃交わしてないからヤクザじゃない!と言ってももう立派な極道ですよ…(笑)

    そして焼香をする事は仏様に香りをお供えするだけでなく周りの方々も良い香りを楽しめる訳です。

    自身の行為が自身だけでなく周りの方々も楽しくする…
    願わくばこの功徳を以てあまねく一切に及ぼし我らと衆生(全ての生物)と皆共に仏道を成ぜん事を…

    仏教はこの精神を唯一の特徴とし、それを焼香やお線香をお供えする功徳に例えております。

    全ての生物…つまり仏教徒だけでなくまた人間だけでもなく草木や動物、害虫や菌に至るまで仏様のご利益が亘らぬところの無きよう最後にお祈りする訳です。

    信じる者しか救わない西洋の神様ではありません。
    特定の民族だけが救われる信仰ではありません。

    皆様にも行き渡る仏様のご利益をどうかご享受下さい。

    最後になりましたが『NHK名古屋放送局』でこの度、金曜の夜10時からの連続ドラマ(合計7回放送)『町工場のオンナ』の撮影のロケ地の一ヶ所に当山が選ばれました。
    第一回目(11月10日放送)、最終回と短時間ではありましょうが内山理名さんが主演で舘ひろしさんも内山理名さん演じる役の故父役で出ておられます。
    当山に有名人がいらっしゃるのは初めてで大変栄誉な事だと思います。
    皆様も是非ドラマをご覧下さい、そしてドラマのロケ地になった当山にも是非お越し下さい。

    薫習と言う事で何度も何度も同じような内容や文章に致しました。
    みのもんたさんやないけど『大事な事ですから二回言いましたよ』と…
    二回どころやないですが…
  • 2017.9.01

    9月のつぶやき
    9月になり、暑さも大分と和らいだものとなり、当山では夜は虫の大合唱(特に轡虫の鳴き声が…)でございますがいかがお過ごしですか

    今月はお彼岸の月ですがお彼岸の話はもう済んでますので何か別のネタをと思い、考えてましたらとある方のご不幸事がありましたのでその時の体験談に因んだ事でもお話します。

    皆様は『日本三大芸道』ってご存知ですか?
    女性の方は花嫁修業等で大概の方は二つは体験されていらっしゃるかも知れません。

    私も本の少しかじった程度ですが体験はしました。
    二つはメジャーであり、あっちこっちに教室がありますしどちらか一つだけ教えている教室もあれば二つ共教えている教室もあります。

    何だと思いますか?

    そうです『茶道、華道』です。
    では残りの一つは何だと思いますか?

    マイナーなのでご存知ない方もいらっしゃるかも知れません。

    答えは『香道』です。
    よく『書道』と答える方がそこそこいらっしゃいますが『書道』は中国発祥であり、『茶道、華道、香道』は日本発祥の芸道であります。

    そしてその日本三大芸道も日本仏教を起源に求める事が出来ます。
    茶道は『臨済宗(りんざいしゅう)』の『栄西禅師(ようさいぜんじ、えいさいとも読まれます)』が中国へ留学した折りに茶の苗木を日本に伝来し、京都栂尾の『明恵上人(みょうえしょうにん)』が株分けして貰った苗木を栽培したのが始まりと言われております。
    その当時は日本は勿論、茶は中国でも貴重品であり、薬として服用する事が常でした。
    そして時代は下り、室町時代に奈良出身の『村田珠光(むらたじゅこう)』が一休禅師に禅を習い、茶の湯に禅の精神を取り入れたのが茶道の始まりと言われております。そして皆様ご存知の『千利休』が茶の湯を大成する訳です。

    『華道』つまり『いけばな』については起源は飛鳥時代に遣隋使として隋の国に渡った『小野妹子』が任務を終え、帰国後に京都の『六角堂』に住み、毎日、仏前に花を供えた事が発祥と言われております。そして室町時代に『池坊専慶(いけのぼうせんけい)、専応(せんのう、せんおうとも読む)』が華道、つまり『立花(りっか)』を大成する訳です。

    さてここまでは茶、華道をなさってた方ならご存知の事かも知れません。
    次に本題の『香道』です。

    香道も室町時代に『三条西実隆(さんじょうにしさねたか)』が始めた『御家流(おいえりゅう)』と時代は少し下りますが『志野流(しのりゅう)』とが現在はあります。

    香は仏教の伝来と共に伝わり、飛鳥時代に淡路島に流れ着いた香木を推古女帝に献上したのが香木の最古の記録であり、その後もシルクロードを通って香木も舶来した訳です。
    その中でも有名な香木『蘭闍体(らんじゃたい)』と呼ばれる沈香(じんこう)が正倉院に残されています。
    そして時の権力者、室町幕府八代将軍足利義政や織田信長、明治大帝が何グラム(実際は匁)、この個所から拝領したと記されています。
    平安初期までは仏前に供える物として珍重されて来ましたが遣唐使が廃止され、平安王朝の貴族文化が華開いた頃にはお供物としてだけではなく衣類や部屋の芳香剤としても用いられるようになりました。
    皆様ご存知とは思いますが京都は奈良の都とは違い、衛生面ではあまり良くない場所でありました。
    奈良の都には水洗便所(便器の下に常時水が流れてました)がありましたが京都のお公家さんは『オマル』で用を足しておりましたし風呂(今で言う『スチームサウナ』)に頻繁に入る習慣もなかったので体臭もあったでしょうしオマルですから用を足してすぐ処理してくれれば良いのですが部屋によっては用便の匂いが漂う訳です。
    そう言った悪臭を誤魔化す訳ではないですが香が流行る訳です。
    そして室町時代にお公家さんの三条西公が香道として芸道の一つとして大成させる訳です。

    香道と言われるとマイナーなだけに難しい、習うのにもお金がかかる…
    実際、香木の値段は希少価値が高まり年々上昇しております。
    何しろ沈香って化石ですから埋蔵量が限られていますし掘れば掘る程、減少する…当たり前の話ですが…
    白檀(びゃくだん)も老山白檀(ろうざんびゃくだん)と言われているインド、マイソール産の白檀が高級品と言われておりますがインド政府が自然保護のため輸出規制をかけております。
    こちらも年々上昇傾向にあります。

    ところが今は『香』と言っても色んな香りがあります。
    仏教的な『線香』も『コーヒー』の香りだとか『チョコレート』の香りだとか白檀や沈香と言った香木の香りではなく人工香料が氾濫しております。
    人工香料は仏教的なお線香だけでなく柔軟剤や化粧品等にも使われています。
    勿論、皆様の嗜好もありますからコーヒーの香りのするお線香、金木犀の香りのするトイレの芳香剤、かのマリリン・モンローが愛した香水『CHANEL No.5』など数多にあります。

    まぁ香りの事でも線香の話ならともかくトイレや部屋の芳香剤の話、柔軟剤や化粧品の話となると仏教的に何か関係あるの?と疑問に思われるかも知れません。

    今回のテーマは香りは香りでも『薫習(くんじゅ)』の精神をお話したいと思いましたが紙面の関係により次回の講釈と致します。

    今回薫習の話をすると来月話するネタがないので勿体振りました。
    ご了承下さい。

    先月のつぶやきでお話してましたご近所の百歳のご長寿様ですが8月15日に天寿を全うされました。
    謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
  • 2017.8.04

    8月のつぶやき
    猛暑日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?

    今月はHPを開設して一年が経ちました。毎月私の拙い説法など呟いてはおりますが…
    さて八月は『お盆の月』ですがお盆については最初のHPで呟きましたので今月は私が目標としていて年頭の法話で呟いている『幸せ』についてお話したく存じます。

    皆様は何故生まれてきたと思いますか?
    中には『死ぬ』ために生まれてきたと言う方もいらっしゃいましょうが間違いではございません。
    物理的な話をするとその通りで『生と死』は一対になっております。生まれてすぐ亡くなる方もいれば100歳、それ以上と長生きする方もいらっしゃいます。
    実際、寺のご近所さんに100歳のご長寿さんがいらっしゃいます。
    とてもお元気な方で今も一人で電車に乗ってお買い物なさるそうです。
    曾孫さんと一緒にお肉食べに行ったりととても微笑ましいお話を伺います。

    少なくとも僧侶の私の呟きですから物理的な法話ではございません。
    結論から先に申し上げると人はみな『幸せ』になるために生まれてきたと申し上げます。
    勿論、幸せと一言で言っても一人一人にとっての幸せの価値観が違います。
    性格や顔つきが違うのと一緒で価値観が違ってくれば幸せの中身も変わってきます。
    死ぬために生まれてきたならば人でなくとも犬や猫、植物、虫など生物はみな同じです。
    だが我々は人として生を授かった訳です。人として幸せになるために生まれてきた訳です。
    勿論、一人一人、幸せの中身が違いましょうが共通して言える事が『モノ』では幸せにはなれません、と言う事です。
    勿論、モノ、つまり『物質』も必要ではありましょうがそれに『執着』してはいけません、と言う事です。
    孫の顔見るのが幸せ、家族がいて幸せと思う方が多いと思いますがもし縁起でもない話ですがそのお孫さんが、ご家族が不幸にして亡くなられたら…人はみな何時死ぬかは解らないし先程述べたように必ず何時かは死ぬのであり得ない話ではありません。そうなると途端に不幸になる訳です。勿論、不幸な事ですが執着する事がもっと不幸をもたらす事になります。
    お金があるのが幸せ、貧乏は不幸となると私は不幸のドン底になりますし、愛する妻がいて子供がいるのが幸せであれば今月末で45歳になる私は妻子が45年間いないので、もの凄い不幸となります。

    物質な事を言えば私は不幸でしょうが精神的には物凄く満たされております。
    お金はなくても信者さんがご本尊様に野菜などをお供え下さるので食べ物のお恵みをご本尊様から頂いておりますし何よりお寺に住まわして頂いているので家賃や持家のローンを払う事がありません。妻子がいなくても母や弟が力添えしてくれるので大助かりです。

    そこで、ではどうしたら幸せになれるの?ってお話です。
    仏教は有難い事に開祖のお釈迦様が『八万四千の法門』つまり沢山の幸せになるための方法をお説き下さいました。
    その中で今回はお盆が控えてますのでそのお盆の本来の意義『布施』の大事さをお説き下さったのでお話したく存じます。
    お盆の経緯については最初の呟きに書きましたのでご参照ください。
    お釈迦様の高弟、目連尊者が母の飢渇を救わんがために始めた事ですが布施行によって成し得た事でございます。
    お布施の話をすると「またこの坊主は金の無心になりやがって!」と非難される方もいらっしゃいましょうが布施はお金だけではありません。
    先程の信者さんのように野菜でも立派な布施です。母や弟(勿論、二人とも僧ではありません)が寺の雑用してくれるのも立派な布施です。

    ただお布施で一番大事な事があります。『見返りを求めない』『高慢になってはならない』
    まぁこういう事言うと営業妨害って他所のお寺さんから非難されるやも知れませんが100万円お布施出したからご利益はいっぱいあるだろう、100円のお賽銭ではご利益は少ないだろうと…
    100万円お布施しようが100円お賽銭しようがご利益は同じです。金額は関係無いのです。中身が重要です。「100万円お布施したった、商売繁盛になる」では布施の意味がありません。「100円ですが私の全財産です、どうかお賽銭としてお受け取り下さい」とならないと布施にはなりません。
    勿論、全財産出さないと布施にならないとか私はどっかの霊感商法でも新興宗教でもありません、要するに「仏様に受け取っていただくという気持ちでなさって下さい」と言う事です。「商売繁盛とか願ってはいけません」とそんな石頭な事も申しません。
    ご利益目当てにお布施してもそれだと『見返りを求めない』になりません。
    また「お布施したった」でも『高慢にならない』に当たりません。
    金額ではなく執着しない事が布施になります。
    ご利益にもお金にも執着しない事が大事です。
    そして『幸せ』になるために生まれてきた、その手段の一つが布施行として『執着しない事』、更に布施行に対するご利益は絶大ですがそのご利益も他人にお布施して下さい。
    皆様は仏様に色々、沢山お願いされます。
    私もそうです、強欲ですし毎朝沢山ご本尊様にお願いします。
    勿論、お願いしても間違いではありませんがご利益に執着してはいけませんしそのご利益を愛するお孫さんやご家族の皆様にお布施して下さい。
    そして何より一番のご利益は幸せになれる今の自分の存在が一番のご利益になります。

    10日午前11時より当山にて『十日観音』を致しております。どうぞ皆様、沢山ご利益を観音様より頂いてご家族、友人等にお布施なさって下さい。
    猛暑の砌、ご自愛下さい
  • 2017.7.04

    7月のつぶやき
    梅雨が到来してもう台風が発生する時期となりましたがいかがお過ごしでしょうか?

    さて今月は先月の続きで『弘法大師』の教えについてお話したく存じます。

    『大師は弘法に、太閤は秀吉にとられる』という語があります。
    〇〇大師と言われる高僧は沢山おられますがただ単に『大師』と言われると真言宗の宗祖『弘法大師』の事となります。
    日本初の大師号を下賜され、弘法大師と同時期にご活躍された日本天台宗の祖『最澄』さんは『伝教大師』、また同じ天台宗で比叡山中興の祖と言われていて『おみくじの元祖』と言われている『元三(がんさん)・慈恵大師(じえだいし)』良源(りょうげん)さん、また鎌倉仏教の祖師様で日本一の既成仏教教団『東・西本願寺』の開祖の『親鸞聖人』も『見真大師』、親鸞聖人の師、法然上人も『円光大師』と朝廷より大師号を下賜されてます。
    勿論、道元禅師や日蓮聖人、覚鑁(かくばん)上人など何人かの高僧が死後朝廷より大師号を下賜されてはいます。

    ただ一人、『空海』さんについては大師と言えば『弘法大師』の事だと言われ、その功績は他の祖師様方より群を抜いています。
    『弘法にも筆の誤り』とか『弘法筆を選らばず』と言った諺にもなり、仏教以外の事でも日本文化に耀かしき足跡を残しています。
    実際にこんな凄い方が存在したの!?と思えるような超人的な逸話も多々あります。
    例えば一昨年『開創1200年』を迎えた高野山には弘法大師が唐の国(中国福建省)の港より投げた三鈷(さんこ 両端にそれぞれ3つの爪がある仏具)が高野山の壇上伽藍の松に引っ掛っていたとして寺宝として残っています。
    その引っ掛っていた松は『三鈷の松』と呼ばれ葉が三葉になっているのが特徴と言われてます。
    勿論、その三葉の葉はなかなか見つかりませんが…
    勿論、これらの逸話も事実ではないにしても弘法大師がいかに超人的な方であると伝えている誇大表現であり、誇張ではございますが弘法大師の功績の大きさを示している事ではありましょうが…
    日本初の庶民のための学校『綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)』を開設したり、また『いろは歌』も発明されて識字率が上がった訳です。
    その他にも『文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)』や『篆隷万象義(-てんれいばんしょうぎ- いわゆる漢字辞典です)』など著して国語学上に貢献なされた訳です。
    また出身地の『満濃池』の大規模灌漑工事を請負い見事完成させ、1200年間、讃岐平野の田畑に潤いを与えております。
    更には天文にも通じ『大衍暦(たいえんれき 真言宗の祖師の一人、一行(いちぎょう)が発明)』を請来したとも言われております。(実際は奈良時代の留学生、吉備真備-きびのまきび-が請来してますが真言宗の祖師の一人、一行が発明した暦ですから弘法大師が請来したと伝わったのでしょう)

    こんなにマルチに活躍出来るの!?と誰しも疑問に思われるでしょうが勿論、逸話の部分も多々ありますし弘法大師がそれだけ偉大な方であると誇張されている訳です。
    そして承和2年(835)に高野山で入定(-にゅうじょう-亡くなったのではなく永遠の禅定に入られた)なされ今でも『同行二人(どうぎょうににん)』と言われ、大師は常に私たちの傍にいて下さり、私たちを見守って下さっております。
    これは弘法大師に限らず浄土真宗などの『浄土教』では阿弥陀様が、当山のご本尊様も『観音経』で皆々様の傍にいて見守って下さっていると説かれています。
    法然上人の和歌で浄土宗の宗歌『月影の至らぬ里はあらねども眺むる人の心にぞ澄む』末法の世の中(仏様のお救いがなくなる世の中)でも阿弥陀様を信じる人には阿弥陀様が常にいらしてます。と阿弥陀様に対しての絶対的な信仰を純粋に和歌で著しました。
    神仏を信仰する方、しない方、それぞれですが何か大いなる力によって『生かされている』
    その力の正体とは解りませんが各人の信仰する神仏であったりもします。
    自分を過信する事なく、また卑下する事もなく多々の作用によって生かされている事に感謝できる、そういう謙虚な人物である事を目標にしたいと存じます。

    今月は少し遅れてUP致したしましたが来月もまた遅れてUPする事となりますがご了承ください。

    来月10日は当山のお祭り『十日観音』の法要がございます。
    皆様のご参詣を心よりお待ち申し上げます。
  • 2017.6.02

    6月のつぶやき
    沖縄県では梅雨入り宣言されて愈々本格的な梅雨を迎えるに当たって皆様いかがお過ごしですか?

    さて6月のつぶやきは今月は宗祖弘法大師のお誕生日、『青葉まつり』(15日)がありますので『弘法大師の教え』をお話させて頂きます。

    弘法大師の教え、つまり『真言宗の教え』ですね。
    勿論、『真言宗』ですから『密教』とは?も含まれてはいますが『チベット密教』となるとお門違いになりましょうから参考程度にお話はいたしますが…

    そもそも密教って何?って事ですが直訳したら『秘密の教え』ってなります。
    勿論、それは仏教上での秘密ですので一般の方からしたら秘密以前に理解不能ってなるかも知れません。
    秘密と言っても密教の秘密には二種類ありまして『仏様が秘密にしている事』(如来の秘密)と我々が『理解不能』(衆生の自秘)なだけなのです。
    如来の秘密、つまり仏様は相手に応じた教えをお説きになられます。
    そりゃそうですね、小学生に大学院生の問題を授業で教える学校教師はいませんし…
    ただ大学院生の問題を教える事が出来る学校教師がいたとしても大学院生の問題は小学生には教えない、秘密にしている訳です。
    小学生が大学院生になればその大学院生の問題を教える事が出来る訳です。
    その間は学校教師や大学教授も秘密にしている訳です。
    仏教は『応病与薬(おうびょうよやく)』病状に応じて投薬する。
    頭痛の人に胃薬を与えても意味ないですし…
    また『対(待)機説法(たいきせっぽう)』とも言われます。つまり機(性質)に対して(もしくは機が育つのを待って)説法する訳です。

    次に衆生の自秘、つまり我々が『理解不能』なだけであると言う事についてです。
    理解不能って言うと語弊があるやも知れませんが要はラジオやテレビの電波とか肉眼で自分の耳で直接見聞き出来る訳ではありません。
    ラジオやテレビの電波を受信する機械がいる訳です。
    ただその受信機が故障してるやも知れないし受信機の存在自体知らない、扱い方が解らないとなるとテレビやラジオは見聞き出来ませんね。
    ですがテレビやラジオの電波がないのか、と言うと否となります。
    つまり我々の受信機が故障しているのやも、受信機の存在に気付いてない、もしくは扱い方が解らないだけなのです。
    受信機を仏様チャンネルに電波を合せたらそれが解る訳です。
    この世の中で仏様は色んな説法をなさってます。
    例えば『一休さん』もある日、琵琶湖上で船禅定(ふなぜんじょう)と言って船の上で座禅していた時、烏が啼いた訳です。
    勿論、烏がなくのは当たり前なのかも知れませんが一休さんはその鳴き声を聞いて悟った訳です。
    『一生懸命座禅してるけど一向に悟らないじゃないか、何をそんな無駄な事をしているのだ?』と嘲笑うかのように聞こえた訳です。
    ただの烏の鳴き声でも仏様のお説法に聞こえた訳です。
    仏様チャンネルに電波が合った瞬間です。
    それは烏の声だけでなく雨落や風の音、森羅万象の色んな形で説法をなさってます。
    それをどう捉えるか…先日のつぶやきに釈尊が『琴の糸、きつく締めれば…』という歌を聞いて悟ったのと同じ原理です。

    ではその仏様チャンネルと電波を合わす方法、それが密教の修行になる訳です。
    どんな事をするの?
    簡単に言えば真似をしている訳です。
    誰の真似か…仏様です!
    悟った方を手本にして真似るのです。
    行い、言葉、思い…所謂『身、語(口)、意』です。
    身、つまり行いは不殺生(ふせっしょう、生物を殺すな)不偸盗(ふちゅうとう、盗みはするな)不邪淫(ふじゃいん、不倫、不貞行為はするな)
    語(口)は不妄語(ふもうご、嘘つくな)不綺語(ふきご、おべんちゃらを言うな)不悪口(ふあっく、悪口を言わない)不両舌(ふりょうぜつ、二枚舌を使わない)
    そして意が不慳貪(ふけんどん、貪るな)不瞋恚(ふしんに、怒るな)不邪見(ふじゃけん、邪な物事の捉え方をするな)です。
    ただ我々は残念な事に仏様がこうすれば仏様になれますよと教えて下さってもなかなか実践出来てないのが世の常です。
    偉そうな事言ってる私もそうです。
    この時期になれば蚊をついパチン!と殺してしまいます。
    盗みでもそうです。嘘と坊主の頭は言った事ないって言いながら嘘もつく時あります。
    短気で激しやすい性格が災いして瞋恚もします。
    でも本当はこれらをどんな時でも出来てる方を仏様と言うのでは?
    そんな時に『南無の会、博多』の小冊子に投稿されてました浄土真宗のご住職のお説法を思い起こします。
    不殺生と言ったって日本だから出来るのである、もし私達がイスラム国のように聖戦を旨としている地域に生まれたら人殺しも当たり前のようにしなければならない、いや一昔前は人殺しも外国でしなければならない日本であった訳です。
    盗みにしても北朝鮮のように飢餓に苦しむ国だと盗みもしないと生きていけないかも知れません。
    現代の日本国の住民である、だから不殺生も不偸盗もしなくて済むのかも知れませんが現実は…
    少なくとも大多数の方々が仏教で言う罪を犯さなくても済むような環境に社会にご縁を頂いている訳です。
    残念な事に何人の方がその事に気付いているか…
    そしてその環境を社会を与えて下さった仏様に感謝し、仏教的な罪を犯さなくて済むこの環境を社会を少しでも維持出来るよう祈り、実践する事が大切ではないでしょうか。
    因みに余談ですがこの時期だから蚊をパチン!と殺してしまいますが冬に蚊を殺す事はありませんね…だったら蚊がいない環境作りにすれば殺す事がありません。
    まぁ単純な発想ですが蚊がいると解っていれば『虫除けスプレー』すれば良い事です。
    また蚊の元であるボウフラが湧かないようにしたり身体を清潔にしたりと対処はいくらでもあるはずです。
    どこかの教学部長がお話されてましたが『この世には無駄な生物はいない』と…『例えばゴキブリでも存在するから『ゴキブリホイホイ』が売れる訳であって、いなかったら大正製薬や大日本除虫菊(金鳥)の社員は路頭に迷うと…』
    まぁ不殺生の戒めを守るなら殺虫剤とかよりは虫除けの方が良いでしょうが…それも蚊が嫌う柑橘系のスプレーの方が良いみたいです。

    さて、弘法大師のお話ですが大師は宝亀5年(西暦774)に讃岐国屏風浦(香川県善通寺市…奈良説もありますが)でご誕生され、31歳にて唐の都、長安(現在の中国西安市)に留学する訳です。
    弘法大師の中国の師匠、恵果和尚(けいかかしょう)の師匠、不空三蔵(ふくうさんぞう)のご命日が774年の6月15日であります。
    弘法大師は不空三蔵の生まれ変りと言われており、それまで密教と言われていた宗教を日本で『真言宗』という宗教団体に大成し昇華した方です。
    そして今なお四国では『お遍路』さんと一緒に行動を共にして下さり、お遍路をしていなくとも常に我々と行動を共にして下さり、我々を導いて下さってます。
    どうか人殺しをしなくて良い、盗みをしなくて良い、仏教的な罪を犯さなくて済むこの環境や社会を与えて下さった仏様に感謝し、大師のお導きに肖って下さい。

    今月は密教の話ばっかりなので来月こそは『真言宗のお話、弘法大師のお話』をさせて頂きます。
    長文、ご拝読ありがとうございました。
  • 2017.5.01

    5月のつぶやき
    桜が終わり新緑の過ごしやすい季節となりましたがいかがお過ごしでしょうか?

    今月のつぶやきは先月の『お釈迦さま』の続きも含めて『日本仏教』についてお話します。
    先月はお釈迦さまの伝記について簡略ですがお話しましたのでそのお釈迦さまの教え『仏教』について簡略ですがお話したく存じます。
    釈尊は2500年ほど前に今のネパールのルンビニ園に釈迦族の王子として4月8日にご生誕なされた訳です。
    勿論、4月8日とありますが日本などの『大乗仏教』ではそのように伝えられておりますがタイ、ミャンマーとかの『上座部仏教』などでも諸説は色々あります。
    釈尊は王子として何不自由なく過ごしてましたがある日、『老、病、死』の出来事を目の当たりにして最後に城の北門から外出した時に一人の出家者と出会い、出家の意を固める訳です。
    まぁこの辺の事は仏教徒なら誰しもが知っている事でしょうが…
    そして29歳の時、王子の身分と妻子を捨てて6年間、想像を絶する苦行をなさった訳です。
    そして35歳の時、ある歌が聞こえた訳です。
    その歌を聴いて苦行を止め、悟りに至る訳です。
    以来40年以上もの間、インドのガンジス川流域を布教して80歳にしてクシナガラで涅槃(入滅)に入られる訳です。
    釈尊がご在世の時の教えは『原始仏教』と言われ、東南アジア地域に『上座部仏教(小乗仏教)』として伝わりました。
    どういった内容かと申しますと『因果応報』の原理を説き、インドの風習に合った倫理的な精神的に豊かな生活を実践する事をお説きになられました。
    ところが一言でインドと言ってもインドという国土の北と南、東と西では風習も違う、話す言葉も違う。
    そりゃそうですね、日本の何倍もの国土と人口を誇ってる国ですから。
    狭い日本でも東京と大阪では文化も風習も違うことが多々あります。今でこそテレビやラジオなどの影響で方言ってのが感じられなくなっていますし大阪の文化も東京に取り入られつつありますが…
    そうなると仏教もその地域に根付くために色々な紆余曲折が起こり、実際に釈尊がお説きになられたとは思えないお経も出て来る訳です。
    そのため、釈尊の教えを忠実に守り、実践する事を大事にしてきた仏教(上座部)と釈尊の教えの精神を大事にする仏教(大乗)とに大きく別れた訳です。
    まぁ要は釈尊が得た悟りの方法論の違いです。
    精神を大事にすると選んだ方が『大乗仏教』となりヒマヤラを越え、シルクロードを通って中国、日本に伝わりました。

    さて、その仏教ですがインド国内でも時代の変遷などで様々に変化してそれがシルクロードを通って東伝すると言う事は更にその土地柄に合った仏教に変化して行く訳です。
    中国では釈尊と同時期に『孔子』や『老子』が現れて『儒教』や『道教』の教えが根付く訳ですがそんな中へ西暦100年頃に仏教が入って来る訳です。
    そして中国仏教として発展した後、朝鮮半島を経由して西暦538年に仏教が日本に公伝された訳です。
    勿論、公伝ですからそれ以前に日本に住み着いた帰化人たちによって仏教は信奉されていましたし応神天皇の御宇には『儒教』も王仁博士によって文字と共に伝来はされていました。
    まぁこの辺くらいまでは皆様ご存知のお話ですし取り立ててお話する事でもありませんが日本に伝わった時点で既に原始仏教が始まってから約千年が経ち、インド国内はもとよりシルクロードを経て中国、朝鮮半島へ伝来した時には既に原始仏教ではなくなり、 大乗仏教となり、中国仏教となって伝来された訳です。
    そしてどの宗教もそうですがその土地の風習や政治と密着する訳です。

    ではその『日本仏教』ってどういった内容か…
    勿論、細かく述べていては終わる頃には年が明けてるやも知れませんが掻い摘んで述べると日本の原始信仰『神道』と密着した事が大きな特徴かも知れません。
    『儒教』が発祥地の中国だけでなく東北アジアに広まり、仏教と融合した訳です。
    その現象が日本でも同じように神道と融合する事になる訳です。

    私の大学時代の書道の恩師で大阪池田市の『呉服神社(くれはじんじゃ)』の権宮司様とお引き合わせ下さった先生がおられましてその先生のツテで今年は呉服神社さんで行われている大阪の風物詩『十日戎』のお手伝いに及ばず乍らですが参加させて頂きました。
    その権宮司様と神道とは?仏教と神道とについてご教授頂き、大変感銘を受けました。
    日本の神道とは自然崇拝が基本であり、山や川、海、もっと細かくなると木や石などを崇拝しております。
    日本一古い神道での崇拝形体を表しているのが奈良の『大神神社(おおみわじんじゃ)』通称『三輪さん』と親しまれている神社ですがそこの神様は三輪山がご神体になっております。
    山は山の幸を人々にもたらし水を育みます。
    山は人々に恩恵を与えて下さる神様として崇拝されております。
    これは三輪山だけでなく日本一の富士山もまた同じです。
    また皇室のご先祖様として『天照大神(あまてらすおおみかみ)』をお伊勢さんにお祀りされている事は皆様ご存知の事だと思います。
    そして皆様のご先祖様も氏神様として神様でいらしておられます。
    神道とは自然崇拝を旨としていますから『教義』つまり人の生きるべき道を説いてはおりません。
    神道で唱えられる祝詞は仏教のお経とは意味合いが全く違いますし仏教とはその名の通り『仏の教え』であり『仏になれる教え』でもあるがために人の生きる道を説いております。
    勿論、お経の中でも祝詞みたいに仏様を讃えるお経もありますが基本的にはお経は仏様の悟りの内容を説いております。
    そしてここからが結論ですが日本の神様は我々日本人の祖先であり、我々子孫が人として豊かな精神で過ごしている事に大変喜んで下さる訳です。
    そりゃそうですよね、身近なご先祖である親はいつまで経ってもどこへ行っても我が子の事を気に掛けます。
    そして人として豊かな精神で過ごしている事に親として喜ぶのは当たり前でしょう。
    その方法や実践論を説いてる仏教を神様も有り難い教えだと喜んで下さり、日本の神様は仏様を大事になさって下さる訳でございます。
    勿論、儒教に関しては元々祖先崇拝の宗教ですから神道は自然崇拝から祖先崇拝も含む儒教と融合した事になります。
    日本仏教は日本の神様の恩恵なしには語れません。

    釈尊のご生誕の一週間後、釈尊の母上『摩耶夫人(まやぶにん)』は産褥熱のため他界なさる訳です。
    神仏の恩恵、ご先祖の恩恵を旧暦の仏母会(ぶつもえ)に際しお話させて頂きました。

    御精読有り難うございました
  • 2017.4.02

    4月のつぶやき
    桜前線が北上する今日この頃ですが皆様お過ごしですか?

    さて今月8日(土)に当山で『潅佛会(花祭り)』を午前中に、午後からは『春季永代経』を厳修致します。
    と言う事で今月のつぶやきは『お釈迦様』についてお話したいと思います。

    お釈迦様のお話ってのはご存知の方が殆んどかも知れませんが8日はお誕生日に当たりますのでこの機会にお話させて頂ければと思います。

    お釈迦様は今から凡そ2500年前にインド(現在のネパールのヒマラヤの麓)のカピラバストゥと言う小国の王子としてご生誕なされた訳です。
    釈迦族(王国の一族名)の牟尼(むに、聖者の意)なので釈迦牟尼、若しくは釈(迦)尊(者)『しゃくそん』と呼ばれておられます。
    よく王子としてのお名前は『シッダッタ』とか『シッダールタ』と言われておりますがこれは現在では本名は不明でございます。
    ただ釈尊がお亡くなりになられてから何百年後に釈尊の伝承を書き留めた方々が本名をシッダールタとか言われてたという事を記録したのでその名が本名と定着していましたが最近の研究では本名は不明となっております。
    勿論、本名が不明と言う事は氏姓も不明と言う事です。
    姓に関しては『ゴータマ』(牛を持つ)と記述されていますがこれを漢字に当てて『牛玉(ごおう)』と書かれたり意味は『最勝』と言う意味と言われてはおります。
    勿論、本名が解らないままでは釈尊を何とお呼びすれば良いのか解りませんが基本的には釈迦族の尊いお方と言う事で『釈尊』が一番無難な呼び方かも知れません。
    勿論、釈尊とお呼びしても一般の方には『お釈迦様』とお呼びした方が解りやすいかも知れませんが…

    その釈尊が伝承では4月8日に母上(マーヤー)が出産のための里帰りの途上、ルンビニーと言う園で産気付き、ご出産なされたと言われております。
    それは難産であり、釈尊も左肩が悪かったのか出産と同時に7歩、歩かれて右腕で天を指し、左腕で地を指し、『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)』と宣言されたと言われております。
    勿論、古い伝承ほど後世の方の脚色は強くはなりますが以前のつぶやきにあったかも知れませんが『本は行間を読め』と言われているようにその伝承が何を意味してるのかと言う事が一番大事です。
    ただあまりその意味を話するばかりではその答えに皆様も固執しかねないので何を意味するかと言う事は今回はお話致しません。
    ベストアンサーは皆様が各自でお出し下さい。
    また牟尼という語も聖者とは訳されてはおりますがそれも本来は『寂静』という意味だとも言われております。
    確かに釈尊はよく深い瞑想にお入りになられます。
    『般若心経』でも真言宗では経題の頭に『佛説』の二字が付きます。その通りで釈尊がお説きになられたお経です。
    だが皆様が普段、お唱えする般若心経には釈尊が登場しません、ですがこの般若心経、真ん中だけ抜粋されている訳です。
    所謂、本論しか書かれてない訳です。
    序論や結論は何故ない?釈尊は登場する…?
    というか本論に釈尊がお説きになりたい内容が結論を言うまでに書かれているのでこういう形式になったのかも知れません。
    何しろお経って言うのは釈尊や仏様の教えを物語風に語られていますから『5w1h(いつ、誰が、どこで、何を、誰に、どうした)』ってみたいなのがお経の冒頭には必ずと言っていいほど来るのです。
    まぁ『序破急、起承転結』がお経にもあると言う事です。
    例えば我々真言宗の僧侶が毎朝お唱えする『理趣経』と言うお経も『ある時、仏様(大日如来)が他化自在天の世界で法を観音様などにお説きになられた、そしてその法の内容は…』と言う感じです。
    般若心経の場合は序や結論で、ある時、釈尊が霊鷲山で深い瞑想にお入りになられて観音様がその今の釈尊の境地を代弁する訳です。
    それ故、いきなり『観自在菩薩…』と本論を述べるお経となる訳です。
    そして結論で観音様が代弁し終えた時、釈尊が瞑想からお出ましになり、観音様を誉め称える訳です。
    観音様が釈尊の代弁をしてる訳ですから『佛説』と付く訳です。
    と、まぁ般若心経の話はさておき、釈尊や佛様はよく深い瞑想にお入りになられます。そしてその様が寂静である事には間違いないです。
    寂静でなければ観察が出来にくい訳です。
    前月のつぶやきに書いた『禅定』をするのは何故か…
    騒がしい環境下で小さな音は聞こえません。
    観音様などは我々の本の少しの事でも観察なさっておられます。
    またご自身の事も観察なさっておられます、ですから観音様の事を『観自在菩薩』観察が自在に行う事が出来る菩薩、そして我々の本の少しの苦しみも取り除こうと我々の音、つまりどんな小さな声でも常時に観察なさっておられる…その姿や行い、気持ち、そう言った方が観音様なのでしょう。
    それは決して他に求めている方ではなく、ご自身が観音様となっている時なのです。
    そしてその観自在菩薩が釈尊の代弁をし、偉大にして無上な教えに目覚めた事に気付き、我々に解りやすく教えて下さった釈尊は大恩教主であり、その釈尊に報恩の意味も込めて『潅佛会(花祭り)』には是非ともお越しください。
    時期的にも当山の桜が満開の中での行事です。
    中には『花より団子』と言う方もいらっしゃいましょうから一服、野点席を用意しております。
    お気軽にお参り下さい。

    因みに今日は2日ですので昨日は『エイプリルフール』昨日つぶやいていれば嘘八百を述べてたかも知れませんがもう過ぎましたので嘘八百はございません。
  • 2017.3.02

    3月のつぶやき
    皆様いかがお過ごしですか?
    さて1日にUPする予定でしたが2月より多忙を極めて1日遅れた事をお詫び申し上げます。

    昨年の9月のつぶやきに『六波羅蜜』について今月はお話すると明記しましたので今回はそのお話です。

    と、その前に3月3日は『雛祭り』ですが私は男ですので雛祭りよりも『桃の節句』に因んだお話をさせて頂きます。
    『桃栗三年、柿八年』って語は皆様ご存知ですか?…って大概の方はご存知でしょうが、ではその続きはご存知ですか?

    『柚は九年で花盛り』『梅は酸い酸い13年』『梨のバカヤロー18年』
    桃や栗は三年で実を着けます。
    柚は9年、梅(当山の梅の花(紅白共にあります)も今綺麗に咲いております)は13年、そして梨は18年もの歳月がかかります。
    勿論、早くに桃や栗のように結実する果樹もあれば梨のように桃栗の6倍もの長期間にやっとこさで結実する果樹もあります。
    それ故、『バカヤロー』って語が出るのかも知れませんが…
    ただ、それは人それぞれ個性があるからそれぞれの期間をかけて結実するという意味を含んでいる訳ですし。

    更に続きがある事をご存知ですか?
    『相田みつを』さんの語にもあるかも知れませんが『達磨は九年で俺一生』
    『桃の節句』でしたので桃に関したプチ法話でした。

    では本題の『六波羅蜜』についてですが大まかな部分は昨年9月に書きましたので字数の許す限り詳細に説明したいと思います。

    六波羅蜜は『到彼岸』つまり仏様の世界に到着する方法と呟きました。
    その為には六つの徳目を実践しましょうと、ある程度ではございますが説明致しました。
    第一に『布施』つまり施しであり、無きモノを与える…いや与えるって語だと高飛車な感じですので受け取って頂く事。
    第二に『忍辱』我慢する事ですが我慢って本来悪い意味ですので忍耐と表現します。
    第三に『持戒』法律などのルールを守りましょう。
    第四に『精進』仏様になるよう努力しましょう。
    第五に『禅定』心を静かに致しましょう。
    第六は以前に書きました様に先述の5つが完成するとオマケで『智恵』が着く訳です。
    六つ全てを今ここで細かく説明出来ませんし『布施』に関しては昨年の8月のつぶやきで述べましたので今回は『忍辱』と『禅定』について説明致します。
    『ガーリック』の事をニンニクと言いますがその語源は『忍辱』から来ているらしいです。
    まぁ他人のニンニク臭い息を忍耐する事から来たのかも知れませんが…
    ニンニクの命名の由来はともかく忍耐しなさいという事ですが忍耐と一言で言ってもどうやって?となります。
    例えばよく腹が立った時のご真言にお薬師さんのご真言を捩って『おん にこにこ はらたてまいぞや そわか』と唱える方もいらっしゃいます。
    しかしそれではストレスが堪るだけになりかねません。
    怒りの炎を水という我慢で消すと後悔やストレスという灰が残ります。
    そこで必要になってくるのが第五の『禅定』になる訳です。
    禅定とは『座禅』の事と思われる方が大多数でしょうが強ち間違いではありませんが座禅って座って禅定する事となります。
    禅定は座らなくても出来る行為であり、心を静かにする事と先述しました。
    勿論、座る方が落ち着く訳ですから禅定の方法としては座禅は最適かも知れません。
    そして何でもそうですが静かだと音を聞分けれます。
    静かな図書館内で話するとその話声が聞こえるように色々な音が聞分けれる訳です。
    また逆にオーケストラなどで本の一瞬、無音状態を作る事によって次に来るメロディを強調したり、曲の持つ静寂さなどを表現したりします。
    ところがこれが雑踏の中や騒音があれば音を聞分けれません。
    我々の心も騒音だらけだと落ち着きません。
    落ち着いて何をするか?自心を観察するのです。
    先述のように我慢という水で火を消したら後悔という灰が残ります。
    じゃどうやって火を消すの?
    燃やさないようにする事です。
    心に燃え易いモノがあれば着火します。
    でも心に燃えるモノがなければ着火する事はありません。
    譬え可燃物があり、燃えたとしてもそれ以上に可燃物を加えなければ良い訳です。
    ボヤで済めば大した事です。
    その為にも自心を観察する、静かにすれば観察しやすくなる訳です。
    そして何を忍耐するべきなのか方法論なども思考する訳です。
    それには心の雑踏を取り除き、静寂な中で自心を観察する訳です。
    お恥ずかしい話ですが私も短気で激しやすい者です。
    忍耐する、つまり忍辱波羅蜜は一番苦手です。
    怒りとは身体に毒の要素の一つだと解ってはいるもののなかなか出来てない現状です。
    だが後悔やストレスという灰を生まないようまた他人に怒りを作らせないよう禅定して第四の『精進』をしたいと存じます。

    余談ですが4月8日(土)は当山にて『灌佛會(花祭り)』を11時より行い、13時からは『永代経』を厳修致します。
    当日は流麗ですが抹茶の接待も致しております。
    また法要の合間には高野山の高僧によるお説法も催しておりますので是非ともご参拝下さい、心よりお待ち申し上げます。
  • 2017.2.01

    2月のつぶやき
    新年がスタートして一ヶ月が経ちました。

    2月は暦の上では春と言われる『立春』があり、新年度がいよいよ始まる訳でございます。
    新年度と聞くと4月1日からではないの?と訊かれる方もございましょうが飽くまでも『暦』の上での新年度でございます。
    ですから2月3日までは旧年度と言う事になります。

    さて今月はその2月3日の催し『節分』についてお話致します。

    よく『追儺(ついな)』とか言われますが当山は先刻ご承知のように真言宗寺院でございます。
    真言宗寺院の大半は『星供(ほしく)あるいは星祭り』という行事を致しております。(残念な事に当山では出来ない状況ですので…)
    読んで字の如くお星さまにお供え物をする日、お星さまをお祀りする日です。
    地域やお寺によっては『冬至』にする場合もありますが(お星さまですから夜が一年を通じて一番長い日)大概のご寺院様は節分にしております。
    さて、一言でお星さまと言っても沢山の星があります。
    その沢山の星の中でも我々に関係のある星、つまり影響を与える星ですが新年最初の呟きに書きました『水、金、地、火、木』つまり太陽系の惑星、5つと日(太陽)、月です。
    更に太陽系にある彗星(何の彗星かは不明ですが皆様ご存知のハレー彗星も多分、含まれてはいると思います)も2つ含めて九曜星と言われており、『当年星(とうねんじょう)』とも言います。
    名前の通りその歳の各人の当り星です。
    ですから毎年変ります。また厄歳とかもここから来ております。
    そして今年は『酉歳』その十二支に関係する星が『北斗七星』です。
    各人の十二支、今年の歳男、歳女は『文曲(もんこく)星』、ただし十二支と七星ですから重なっている十二支があり、単独のもあります。
    因みに今年の酉歳の方は卯歳生の方と同じ星です。
    七星中の各星の位置は省略しますが子歳は『貪狼星(とんろうしょう)』丑、亥歳は『巨門星(こもんじょう)』寅、戌歳は『祿存星(ろくぞんじょう)』辰、申歳は『廉貞星(れんぢょうしょう)』巳、未歳は『武曲星(むこくしょう)』そして最後に午歳は『破軍星(はぐんじょう)』
    これらは十二支ですから生涯変りません。なので『本命星(ほんみょうじょう)』と言います。
    そしてここからが密教の奥義に当たる部分です。
    日めくりカレンダーなどに『二十八宿』、漢字一字で書かれている語、例えば『鬼(き)』とか『心(しん)』とか…
    月は約二十八日周期で満ち欠けをし、黄道十二宮(牡羊座だとか乙女座とか)や太陽系近隣の星々などが南中時に位置した時、地球から見て月と重なったり一番近くにある星に宿してると考えられました。
    その星の名前が『鬼』だったり『心』だったりする訳です。
    勿論、月と星ですから年に関しても『閏年』があるように誤差があります。
    ましてやインドで見る位置にある星と中国で見るのとでは誤差もあって然りです。
    それ故、インドでは『二十七宿』で閏宿の『牛宿(ぎゅうしゅく)』は用いておりません。
    そしてその二十七(八)宿は各人の生年月日に月が位置した星と言う訳です。
    (ここでは二十七(八)宿の詳細は割愛しますので携帯サイトとか書籍で『密教占星術』もしくは『宿曜経』をご参照下さい。)
    これらは『元辰星(がんじんじょう)』と言われ、これも生涯不変です。生年月日に位置した星ですから変る方がおかしいですが…

    さて本題ですが2月の節分は翌日は春、つまりその歳の四季の始まりでもある訳です。
    前日に星を祀り、今年一年の幸運を願う訳です。
    先程の当り星には大吉の星もあれば大凶の星もあります。大吉の星に当たる方には星に増々の活躍を願い、大凶の星に当たる方には星に悪さしないようご機嫌を取らないといけない訳です。
    更には本命星、元辰星は各人の個性を司り、守護して頂いておりますからそのお礼をする訳です。

    また節分に真言宗寺院でも『豆撒き』はします。
    勿論、これは星祭りとかには関係ない事ですが日本古来の『追儺』(災難を追放する意)の儀式で、古くは京都府北中部にある大江山の鬼が京都市中で悪さをしようとした処、民衆が煎った豆を投げつけて退散させた故事に由来すると言われております。
    災難を鬼という魔物に譬えて豆(魔滅に通じる)を撒く訳です。
    ところが皆さん、ご存知の方もいらっしゃるかとは存じますが『鬼は外、福は内』という語や撒き方は一部のお寺では違うそうです。
    大半は定例句通り、皆様のご存知の通りですが例えば『恐れ入りや(入谷)の鬼子母神、参りましたや(下谷)の摩利支天』って語で有名な入谷の鬼子母神さんでは『福は内』しか言いません。
    ご本尊様が鬼子母神、つまり鬼の子の母ですから『鬼は外』と言うと鬼子母神さんも追い出す事になるとか…。
    更には奈良県の古来からの桜の名所、吉野の金峰山寺では豆を堂外に撒き、『福は内、鬼も内』と言うらしいです。
    ご本尊様(蔵王権現)のお力で鬼も鬼でなくなるからと言う事です。
    『災い転じて福となる』『苦は楽の種、楽は苦の種』

    本年度も皆様のご多幸をお星さまにお祈り致します。
  • 2017.1.09

    1月のつぶやき
    新年あけましておめでとうございます

    皆様、耀かしき新年をお迎え下さった事と存じます。

    さて今年最初の呟きは『幸せ』についてお話したいと思います。

    その前に今年は『丁酉(ひのととり)』の年ですのでどういう年か少しお話させて頂きます。
    『丁』とは『十干(じっかん)』甲乙丙丁戊己庚辛壬癸(きのえ(木兄)きのと(木弟)ひのえ(火兄)ひのと(火弟)つちのえ(土兄)つちのと(土弟)かのえ(金兄)かのと(金弟)みずのえ(水兄)みずのと(水弟)読みは『こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、し』)の4番目で『火の陰』を表します。
    十干とはすなわち『水、金、地(土)、火、木』その下に『星』を付けると(地は地球の事ですが…)お分かり頂けると思いますが古代中国の天文に関係し『五行(ごぎょう)』と言われております。
    これらが古代中国人の考えた宇宙の元素とだと考えられてそれぞれに陰(弟)陽(兄)があると、更にそれらは『相剋(そうこく)』の関係にあります。
    そして『酉』は皆様ご存知の十二支の10番目です。
    この『酉』の字はさんずい偏を付けると『酒』、つまり醸造とか醸すという意味のある語です。
    年頭の安倍首相の言葉に『酉歳解散』の語がありましたが過去の事例から言うと変革の年でもある訳です。
    まぁ古くは『大塩平八郎の乱』とかのクーデターが起ったり(未遂に終わりましたが…)郵政解散だとか自民党が野党になった歳だとか新興勢力が台頭し変革する年な訳です。
    酒や味噌などの醸造物は寝かして熟成させます。
    酉歳には今までの努力や行程の結果の現れる歳と言う事です。
    勿論、努力しなかった方はそれなりの結果しか出ませんが出なかったからと言って努力を止めてしまえば増々結果は出ない訳です。
    その結果とはどういうモノなのかは人それぞれですが何事も『蒔かぬ種は生えぬ』です。
    勿論、種を蒔いたからといって果(報)を結ぶ訳ではありません。
    種でもアスファルトやコンクリートの上に蒔いたのでは芽は出ませんしちゃんとした土壌に蒔いただけでもダメですね。
    水やり雑草刈り、肥料やりと果、つまり果報を結ぶ努力をしなければ寝て待ってても結果はありません。

    勿論、努力したからと言っても不測の事態もあります。
    昨年の『熊本大地震』や『糸魚川の大火災』など想像してもいなかった出来事もあります。
    ただ何事も過去の事例や経験を生かさないと大損害と言う不幸な結果が待ってるだけです。
    対岸の火事をいかに生かすか、それも努力次第です。
    前月の呟きに書きましたが我々日本人は『和』を大事にするDNAがあると信じて止まない私です。
    強いて言えばそれは『お・も・て・な・し』の文化の源であり、それは他を思いやる、世界に誇れる事でもあります。
    現にODAは世界一であり、発展途上の他国の為に我々の税金が使われている訳です。

    そしてここからが本題ですが『幸せ』の定義は人それぞれなのは述べましたが共通して言える事は物質だけでは『幸せ』には成れません、と言う事です。

    伝教大師の語で『己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり』と。(天台宗では『忘己利他…もうこ、りた(もう懲りた)』と読むらしいです。まぁそこまで懲りるほど実践できたら素晴らしいですが…)
    釈尊(お釈迦様)も『ヒマラヤの雪ほどの砂金を全て手中に収めても煩悩は尽きない』と
    ヒマラヤの雪ほどの砂金って皆様ご想像出来ますか?
    まぁそこまで砂金があれば金の価値は下がるでしょうが釈尊のおっしゃりたい事は物質だけでは幸せに成れませんって事です。
    じゃ釈尊が言う幸せに成る方法は?と言うとそれが伝教大師の語です。
    自分の幸せを願うより他人の幸せを願い、叶うよう努力する事が必要な訳です。
    ましてやキリスト教でも『人はパンのみに生きるに非ず』とありますから尚更、精神的な『幸せ』と言うのが必要になる訳です。
    勿論、私は物質を否定はしません。パンのみに生きるに非ずと言えども食べなければ幸せにもなれませんし釈尊の前世物語『ジャータカ』にあるように飢えた虎に我が身を与える事が出来ればベストなのですが釈尊だから出来た事であり、そこまで精神状態を高めるにはやはり物質も必要となります。
    因みに自己満って殆んどと言って良いほど他人の不満なだけです。
    よく『男のロマンは女の不満』って語を聞きます。
    先程の忘己利他の精神であれば自己満ってのは無いはずです。
    それは自分以外の多くの人々が満足しなければ自分も満足しない訳です。
    勿論、本の些細な事でも満足される方もいらっしゃいますし多くの他人と言わなくても一人でも本の些細な事でも満足して下さる方が増えればと願い、その努力をする精神は大切です。
    そして先程述べました日本人のDNAつまり『和』の精神は世界一とも言えるほどの『幸せ』を手に我々日本人はしている訳です。
    争いを避け、他人を思いやる精神…ただその精神が欠乏しKYな方々が増えつつある現状を打開したく常に不満な坊主となって結果、つまり他を利することを本年も精進したく存じます。

    長文になりましたが本年もどうかよろしくお願いいたします。
  • 2016.12.01

    12月のつぶやき
    早いもので今年も残り1ヶ月になりました。
    本年は皆様にとってどういう年でしたか?
    『申歳』つまり『人偏』を足すと『伸』、示偏を書くと『神』…
    今年最後のつぶやきは『神様』についてお話致します。

    当山は先刻ご承知のように『伊勢西国32番札所』となっております。
    『伊勢』と言われると皆様は何を連想しますか?
    伊勢と言えば何ですか?という質問です。

    伊勢と言えば『赤福』を連想される方も少数いらっしゃるかも知れませんが大多数の方は伊勢と言えば『お伊勢さん(伊勢神宮)』を連想されますね…
    そして当山の場合は冠に伊勢が付いた『西国』であります。
    その歴史は近畿一円を巡礼する『西国霊場』と同年代くらいに出来た霊場とも言われております。
    西国霊場や伊勢西国霊場の歴史はさておき、西国霊場と言えば京都を中心に33ヶ所あります。
    伊勢西国は伊勢たる所以がお伊勢さんにありますからお伊勢さんを中心に39の寺院がございます。
    そしてその半分以上の寺院が当山と同じ『十一面観音様』をご本尊にお祀りしております。
    何故だと思いますか?
    『伊勢』だからです。
    先程申しましたようにお伊勢さんを中心にしている霊場だからです。
    難しい語で言うと『本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)』と言うのが古来よりあってインド(本地)発祥の仏様が日本の我々を救わんがために日本の神様(垂迹)になられたという説です。
    そして宗派によって違いはありますがインドの仏様が何の神様になられたかと言うと真言宗、特に豊山派(ぶざんは)などでは豊山派総本山のご本尊様が十一面観音様だからか『天照大神』になられたといわれております。
    神仏は千年以上も仲睦まじい夫婦みたいなもんでしたが明治政府の『神仏分離令』により生爪を剥ぐが如く別れさせられた訳です。
    また伊勢西国の伊勢と言えば神道、その神道の総本宮のある、つまり日本古来の宗教が約1400年前に今の韓国から伝来した仏教とミックスした信仰形態でもあります。
    事実、西国霊場は京都や奈良を中心にしている霊場なだけに仏教のイメージが強いと思います。
    京都と言えば京都駅近くの五重塔の寺や清水の舞台などお寺をイメージする方が多いと思います。
    奈良にしても奈良と言えば大仏様とかやっぱりお寺をイメージします。
    日本は外来の文化や習慣、宗教を上手く取り込んでいき、日本的に上手く消化する国であり、また対立を好まず和を大事にする民族のDNAを受け継いでいるからではないでしょうか?
    戦後、米国からの影響を多分に受けてるとは言え、それを日本版に上手く消化している…それは古来の御先祖様から我々が受け継いだDNAなのでしょう
    そしてそれを象徴しているのが『伊勢西国霊場』であり、日本の神様、つまり遠い遠い御先祖様の懐の大きさによる恩恵であると信じて止みません。

    本年も色々ありましたが皆様、どうか良いお年をお迎え下さい。
  • 2016.11.01

    11月のつぶやき
    先月30日に当山の境内にあります『英霊社』で『招魂祭』が行われました。
    以前は当山のある地域(当山も含めて)4ヵ寺の持ち回りで法事、神式は当山の英霊社前、もしくは深江神社で鎭國守國神社宮司で深江神社の兼務宮司様による祭祀を計2回していた訳です。
    いつしか当山のみで午前中に本堂で仏式、午後から英霊社前で神式が行われるようになっております。

    ただ昨年は私も初めての事でしたし『招魂祭』と銘打ってる以上、神式を先に行わないと仏式は出来ません、神様に対して遠慮します。と先に英霊社前で招魂祭を行って頂きました。
    その原則は変えておりませんが本年より『秋季永代経』という形で午前中に神式より先に英霊様の法事を行う事になりました。
    まぁ今回は宣伝する暇もなかったので急遽、仏式の慰霊祭はそういう形で行いますと遺族会の方々に納得して頂いたようなもんですが…
    まぁ『秋季永代経』ですから英霊様の慰霊も兼ねて一般の遺族会と関係ない信者様方の精霊様も供養致しますという事になりますが…
    秋季という事は春季も行います。
    以前は春秋と別の日に行われていたらしいですが春は前年の地域の物故者の慰霊を今年から『花まつり』の日の午後に行いましたので『春季永代経』と銘打って同様の事を来年は行う予定です。
    秋季に関しては『招魂祭』を行う日(10月の最終の日曜日)の午前中に行います。

    さて今月の拙法ですが当山の英霊社の英霊様は日清、日露戦争以来の英霊様をお祀りしております。
    『大東亜戦争(太平洋戦争)』の英霊様だけではありませんが『招魂祭』を行う目的の大部分の理由は大東亜戦争先没者慰霊である事は間違いないと思います。
    先の大戦から71年が過ぎました。
    遺族会の方々も昭和19年以前のお生まれの方々が殆どです。
    今の日本の平和や発展は大東亜戦争先没者の方々のお蔭である事はあっちこっちで耳にする事が多いと思います。
    しかし遺族会の方々もご高齢になりつつあり、招魂祭が後々まで続くだろうか?と不安はありますし、また続いてほしいという願いはあります。
    私も高度経済成長期、第二次ベビーブームの生まれですから戦争中や戦後の激動の時代は知りません。
    衣食住に苦労した事がない世代です。
    ですがそれは誰のお蔭?って考えると私も僧侶という立場で、生臭坊主の拙いお経ですが英霊様に供養を致したい、私如きのお経で浮かばれる訳がなくても本の少しでも慰霊したいという気持ちで招魂祭と抱き合せで秋季永代経を当山で行うに至った訳です。
    当初は永代経を以前、当山でも行われていた事は知っておりましたが準備や予定を空ける事、体力的な事や経済的な事を考えるとしない方が良いかな?と思って乗る気でなかった事は事実です。
    実際、夏の行事でも先の理由で他の日に変更したい気持ちもありますが…
    先代がお亡くなりになって私が晋山するまでの期間も夏の行事は面々と続いておりましたので今更変更するのは無理かも知れませんが…
    ただ私の英霊様に対する気持ち、僭越ですが遺族会の今後を考えた上で抱き合せで『秋季永代経』としてさせて頂こうと決意した次第です。
    永代経はお寺の行事として戦後百年が経とうが千年が経とうがお寺が続く限り行っていく訳です。

    戦争という悪がなければ平和という善が解らない訳です。
    本当に平和を願うのであれば先没者に対する慰霊の気持ちがあって然りと思います。
    先没者の方々がご本人の意思とは関係なく異境の地でお亡くなりになられ、東京、大阪などの空襲や広島、長崎の被爆と凄惨な現状から世界第2位の経済大国になった礎は先の大戦での反省からである事は誰しもがご存知の事です。
    しかしその礎を築いて下さった方々には何かしてますか?
    国が毎年、武道館でする以外、地域毎にでも行っていても遺族会の方々のみで我々高度経済成長期後に生まれた方々は勿論、全員とは言いませんが大半は知らん顔で遺族会が、国が行っている事と関知しないというのが現状です。
    勿論、遺族の方々でもそういう方はいらっしゃるかも知れませんが何事も縁起の法則に従っているのが森羅万象です。
    我々僧侶は精神論を説いています。
    善因善果、悪因悪果ですので今の日本を築いて下さった方々、また各人の親兄弟、さらにご先祖様方へ感謝の念が失いつつある時代です。
    そう言った悪因悪果を招いているのが現状です。
    今現在不幸真っ只中ってのは過去の行いからそういう結果を招いた訳です。
    じゃこれから幸せになるには?
    今善行をすれば良いだけです。
    ただ何事もそうですがいきなり大木になり美味しい実を付ける訳ではございません。
    水やり、肥料やりと良い結果を生む努力をしないと美味しい実は稔りません。
    何が善悪であり、何が幸、不幸かはその人それぞれですが縁起の法則、善因善果、悪因悪果というのはどんな人にも共通する事です。
    感謝する人は感謝されて幸せな人です。
    今の日本の平和と発展を作ってくれた先の大戦の先没者の方々、自分がこの世に生を受ける原因を作ってくれたご先祖様に感謝して感謝される人でありたいものです。
  • 2016.10.03

    10月のつぶやき
    先月末に当山のHPを立ち上げました。
    反響はまづまづですが気になった事がありましたので
    今回はその話を呟きます

    私には2つ年下の弟がいますが弟が言うには
    『兄貴の話は長い!もっと手短かに読みやすく!』と
    今月のつぶやきはそれを念頭においてお話させて頂きます

    当山のご本尊様は『十一面観音』様ですのでそのお話です。
    そもそも十一面観音様などの観音様は『観音経』に『33化身、19説法』なさると説かれています。
    観音経の一節「仏身…執金剛身而為説法」の箇所で33の姿に身を変えて説法する、その説法と言う語が19回出てきますので19説法と言われています。

    皆さん、全ての人が観音様なのですよ、という教えです
    そりゃ皆さんが、ご自身が観音様です。とここで言うと中には自惚れる方もいるかも知れませんが人間の色々な身分や立場(国王や大臣、ご婦人や子供)の方々だけでなく人でない生物(『天龍夜叉…人非人等』などの一節)にも変身なさると説かれています。
    ご自身は観音様と思えても、勿論、自惚れであったとしても他の生物までが観音様とは誰しも思えないのが現状かと存じます。
    例えば『夜叉(やしゃ)』とか『執金剛(しゅうこんごう)』って元々インド神話の鬼神ですし、よく夜叉羅刹とか悪い意味で言われる事が多いと思われます。
    執金剛にしても仏教に取り入れられて門番(お寺の山門などでよく見かける仁王さんの事です。
    有名なのは『奈良 東大寺の南大門の仁王像(運慶、快慶作の国宝)』です)として仏教徒やお寺の守護をなさってますが、仏教に取り入れられなかったら鬼神のままだった訳です。
    だが本来、鬼神だとか仏だとか誰が決めた事でしょう?
    今回のつぶやきの重要事項はここにあります。
    他ならぬ自分自身です。
    昨今のニュースでも殺人事件のない日がない世の中になってます。
    勿論、良いニュースも放送されますが必ずと言っていい程、殺人事件だ、強盗だの強姦だのと悪いニュースも放送されるのが現状です。
    もう見聞きしたくない!そう思える現状ですがそもそも善悪とは誰が決めた事でしょう?
    それも自分自身です!
    勿論、善があるから悪もある…何が善かはルールがあって成り立つ物ですがルールはどうやって決めた事なのでしょう?
    それは悪があるからルールを決めたと言った方が解りやすいかも知れません。
    今、改憲の話が盛り上がってはいますが現況の日本国憲法も米国の押し付け憲法とは言われてますが先の大戦の反省で制定された事は事実です。
    じゃ戦前はどうでした?
    もうここまでお話すれば大概の方はお分かり頂けると思います。
    勿論、自分自身の判断結果で善悪というのが決まるものですが
    その判断の基準になるのがルールである訳ですが勿論、
    そのルールも自分自身で決めた事ではないにしても忠実にルールを守る、どんな些細な事でもルールに則ってる方っていますか?
    些細な事でもルールやモラルに反しない…
    まぁまづはいません。
    勿論、ルールやモラルを守る事は大事ですがそれを判断したり取捨選択してるのはご自身なのですよ

    観音様も同じです。
    33の姿に変身して我々を救済なさって下さいますが夜叉を観音様と思えますか?
    そこに我々の浅はかな観察力と判断が表れる訳です。
    勿論、この世の中、平和で波風立たない平穏無事で過ごせるなら良いですが現実はそうではない。
    争いもあり、欺瞞もある…勿論、親切もあれば平和もある…
    それらは観音様が33の姿に変身して身を呈しての我々を救済なさろうとしている姿なのです。

    と、まぁまた話が長くなったら「兄貴の話は欺瞞だらけ!」と言われそうなのでこの辺で
  • 2016.09.23

    お彼岸について
    先月は『お盆について』でしたので今月は『お彼岸について』です。
    お彼岸はご存知のように春と秋の年二回ございます。いづれも地球が太陽の周囲を公転している過程で昼夜の時間が同じ長さになる日(実際には何分かの誤差はありますが…)、春分の日、秋分の日を中日として前後の日、合わせて一週間あります。毎年、春分の日、秋分の日は同じ日とは限りませんが春分の日は3月の20か21日、秋分の日は9月の22か23日になっております。
    春分の日、秋分の日共に『祝日法』と言う法律で定められてはいますがお彼岸の中日としては同じですが祝日法での定義は違うみたいです。
    春分の日は『生物を慈しむ』、秋分の日は『祖先を敬い、故人を偲ぶ』とあります。
    そもそもそのお彼岸ですが日本独自の風習であり、最初に定められたのは聖徳太子と言われておりますがあくまでも伝説上の話であり、実際のお彼岸の行事の初見は『日本後紀』に大同6(806)年、早良親王(さわらしんのう・桓武帝の実弟で冤罪により皇太弟を廃位)の鎮魂の為に全国の国分寺の僧侶に一週間『金剛般若経』を読誦せしむ。とあります。
    現代では春、秋共にお墓参りをして菩提寺さんにお経を上げてもらい、春は『ぼた餅』、秋は『おはぎ』をお供えする祖先崇拝の行事となっております。
    さてその『彼岸』と言う語ですがサンスクリット語で『パーラミター』(波羅蜜多)とあり、正式には『到彼岸(向こう岸に到る)』という意味になります。
    我々、凡夫が住む此の世界(娑婆)を『此岸(しがん)』と言うのに対し、仏様の世界、理想郷を『彼岸』と言います。
    その彼岸に到る方法は多々ありますが日本は大乗仏教の国ですので大きな乗り物、船に譬えられますがそれに皆で乗船して彼岸に到ろうと目指す訳です。
    ところが船にしても電車にしても飛行機にしても乗船、乗車とかにはチケットが要ります。
    そのチケットは6種類あって6枚必要です。
    勿論、お金で買えるチケットではありません。
    言わゆる『六波羅蜜(ろくはらみつ)』という6つの波羅蜜を行なわなければなりません。
    その六波羅蜜とは第一に『布施』先月のつぶやきに書きましたのでご参照ください。
    第二に『忍辱(にんにく)』ガーリック(大蒜)の事ではありません…耐え忍ぶ事、我慢する事です。
    第三に『持戒(じかい)』戒めを守りましょう、もっと平たく言えばルールやモラルを守りましょう。
    第四に『精進(しょうじん)』彼岸に到る努力をしましょう。
    第五に『禅定(ぜんじょう)』心静かに落ち着きましょう。
    そして最後に『智恵』ですがこれは先の5つが出来れば智恵が着くのでまぁ『オマケ』みたいなもんですね。
    勿論、中には自力で泳いで彼岸に渡ろうとする方もいらっしゃいますしご自身で筏なり造船なりして渡ろうとする方もいらっしゃいます。
    ところで真言宗の事を『秘密金剛乗』と言います。
    船は船でもダイアモンドを散りばめた豪華客船、それも『クィーンエリザベスⅡ世号』みたいな船で彼岸に渡ろうとしている教えです。
    今回はお彼岸の話ですので『真言宗』のお話はまた後日に…
    では何故この時期に行うの?と言うお話ですが昼夜の長さが同じで『暑さ寒さも彼岸まで』と言われます。
    可もなく不可もなく丁度良い!という事です。
    お釈迦様は一国の王子として29歳までお過ごしになられその後、苦行を6年間なさる訳です。
    ある時、『琴の糸、強く絞めればプツリ切れ、さりとて緩めば音がせぬ、きつく…緩め…』という歌をお聞きになられ苦行を止めて悟られた訳です。
    その事により仏教は『中道(ちゅうどう)』を説きます。可もなく不可もなく中道の日に仏教の修行をしたりしてお釈迦様に肖る訳です。
    まぁ簡単に言えば『ほどほどに』と言う事かも知れません。
    一番良い譬えに『飲酒』があります。お酒は適量を飲めば気分も朗らかになり、寒い日だと体が暖まります、しかし飲み過ぎると体を壊したり他人に絡んだりと害になります。
    善行はしないよりは多くした方が良いに決まってる…しかしそれは本当に善行でしょうか?
    『ありがた迷惑』だったり『独善』ではありませんか?そうならないようにもホドホドが一番かも知れませんね。
    まぁそういう意味では私の話もホドホドと言う事でこの辺で筆を置きます。
    来春のお彼岸に『六波羅蜜』の詳しいお話を致しますのでまたよろしければご一読下さい。
  • 2016.08.08

    お盆とは
    今回「お盆とは」というテーマを頂きましたので私の拙い法話(拙法)をさせて頂きます。
    「お盆」という語源は古代インドの言語、いわゆる「梵語」(サンスクリット語、完成された語)で「ウランバナ(盂蘭盆)」という語が基になっております。中国語に翻訳された時に音写して「盂蘭盆」という字を書きますが意味は「倒懸」と訳されております。古代インドのバラモン階級の人々は後継者を残さないとあの世で倒懸、つまり逆さ吊りの刑の憂き目に遭うと信じられていました。
    そしてお釈迦様が御在世の時に弟子の中で二大双璧の一人と言われている目連尊者という方が神通力(超能力)で亡き父母がどの世界に生まれ変わってるかご覧になられ父上は天界に生まれ変わっておりましたが、母上が何と悲しきことに餓鬼道(飢えに苦しむ世界)に生まれ変わっておられました。
    目連尊者は急いで母の元に行き、飲食物を運んだのですが食べ物は炭と化し、水は蒸発する様で母の飢えを救えませんでした。
    泣く泣くお釈迦様の元へ行きこの様子を説明し母の救済を嘆願するのですが、お釈迦様も目連尊者の母は救えないと…ただ一つ救う方法があり、汝が汝の母とは逆の行為をすれば良いと…それも多くの髙僧に多くの施しをする事だと…
    そもそも何故母は餓鬼道に堕ちたのだろうか…あんなに優しかった母が…私のせいだ!私を育てんが為に他人には強欲になりケチンぼうになってしまった…母と逆の行為をする、それも多くの髙僧に多大の施しをする…どうやって?…目連尊者は考えました。
    話は変わりますがインドもモンスーン(季節風)の影響で雨季(梅雨)がございます。そしてその時期は万物の産生の時期でもあり、お釈迦様はこの期間中、インド各地で行脚している修行僧は「竹林精舎」や平家物語の冒頭で有名な「祇園精舎」など精舎という建屋の中で外出せずに過越し万物の産生を妨げず幼虫などを間違えて踏み殺さない様にもする為「アヒンサー(安居会・不殺生という意)」をお定めになられ、期間中は勉学に励む事をお定めになられました。
    そしてその雨季明ける日(旧暦七月十五日・インドのみならず農耕民族は太陰暦を用います)に期間中の学問の成果を発表する日でもありました。目連尊者はその日を狙って多くの髙僧に多くの施しをする事が出来、その功徳のお陰で母を餓鬼道から救済できました。
    めでたしめでたし また更にお釈迦様は七世の父母の為にもとこの行事を勧められたので弟子や信者たちは喜んで従い行ったのでした。
    とここまではお盆の概説を述べましたが目連尊者の母が堕ちた餓鬼道とは?という話ですがお経でも一般書籍や本でもよく行間を読めと言われます。餓鬼の存在…今では小さいお子さんを「ガキ」と呼ぶことがありますが飢えに苦しむ鬼なんて…と想像がつかないかもせれません。現在の日本ほど飢えという事を知らない国民はないと思います。つい七十年前までは飢えに苦しむ世界でしたが…現在においては何かの自然災害が起きても多くのボランティアの方々や自衛隊などから多大の救援物資が集まります。また自然災害が発生しなくとも虐待などはともかく生活苦で餓死したというニュースが流れる事は皆無です。
    ところが海外に目を向けると今でも隣国(北朝鮮)では毎年何万人という方々が餓死しております。アフリカでもアジアでも…このお話の場合は餓鬼(目連尊者の母)を救済するという方法を説きましたが日本のみならず欧米諸国でも食糧の餓えは知らずなおかつ目連尊者の母が何故餓鬼道に堕ちたか原因を知らない方々が殆どです。また救済方法についても同じです。餓鬼道に堕ちる、つまり餓鬼になるという事は「欲求不満」の状態にあるという事です。そして救済方法についても多くの髙僧に多大な施しとありますが髙僧というのは僧侶だけでなくご自身の精神状態を髙めて下さる方々と解釈してよいと思います。また多大の施しとありますが施しとは金銭や品物ばかりではございません。笑顔を施す。優しい言葉を施す。勿論、金品の施しもありますが金品の施しにしても気持ちの問題が重要視されます。強欲で傲慢な気持ちでは施しとは言えません。因みに施しの事を「布施」といいます。その字の通り昔は布(ハギレ)を施された。そのハギレを集めて縫製したのが「袈裟(僧侶のユニホーム)」となった訳です。お盆の精神、つまりお盆は時期的な事はともかく施しの大事さ、また自らの心の状態がいかなるかを教えている時期でもあります。

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